浄土真宗と北陸門徒

 親鸞聖人の教説と人格を慕って結成された教団は、覚如上人によって宗祖の廟所本願寺を中心とする真宗全門徒の統合発展案が策定された。この計画は蓮如上人によって具体化され、全国的基盤の教団が確立した。この本願寺教団の草創から現代に至るまでの軌跡を、特に北陸地方に焦点をあててみていきたい。
一 初期真宗と北陸

真宗史の時代区分

宗祖と初期教団

初期教団と北陸

二 本願寺門徒と讃門徒

覚如上人の三代傳持血脈説

本願寺教団の形成

如導上人と讃門徒

三 蓮如上人の北陸教化

蓮如上人以前の北陸教線

蓮如上人の北陸教化

本願寺門徒と一揆

四 北陸門徒の組織

惣村と講

道場と毛坊主

門徒組織と檀家制


--- 以上講義レジュメより ---

はじめに

 三日間にわたりまして、浄土真宗と北陸門徒ということで主に歴史のサイドからお話をさせていただきます。歴史を学ぶということについて、世間では回顧趣味と申しますか、昔の事をほじくり返してばかりいてあまり役に立たないという方がおられます。しかし歴史と申しますのは単なる回顧趣味にとどまっていていいものではございません。私たちが現在を、また未来を生き抜きますところの活力となる学問であると思います。

 これは卑近な例でございますが、私今朝宿屋で朝食に味噌汁をいただきました。奥様方が味噌汁をお作りになるときに、昨日の味噌汁は大変辛かった、これは味噌を沢山入れ過ぎたからだ、だから今日は少しお味噌を手控えたら昨日のような辛い味噌汁にはならないであろうというふうに、つまり過ぎ去った時点におきまして私たちがおこなったことがらをたえず反省をしながら未来へ向かって現在を歩んで行く、そう云った意味をもつのが歴史の学問であろうかと思います。そうしないで単に未来ばかりを見つめましても地盤のしっかりしない空中楼閣になってしまいます。私どもはたえず過去を反省しながら未来へ向かって歩んでいく、それが歴史の学問だということを御認識いただきましてお聞き取りをいただきたいわけでございます。

もう一つ申し上げますと、私は徳島県の生まれで南国でますので、雪があまり降りませんから、雪国の方々のご苦労はあまり分からなかったのですが、実は昨年初めて雪の北陸路を旅して雪国の大変なご苦労を身を以て体験いたしました。その時降りしきる雪の中で、私はふと『北越雪譜』の一節を思い起こしました。
『北越雪譜』は150年ほど以前、越後の文人である鈴木牧之が北国越後の冬景色、冬の生活を描いた随筆で、皆様もお読みになったことがあると存じます。私は冬になりますと、よくこの本を読ませてもらっています。私は親鸞聖人がご苦労された越後の地に、ある程の憧憬のような感情をいだいていました。その北国の雪というものは、私が頭の中で描いていたような甘いものではないことを、思い知らされたのでした。その『北越雪譜』の「雪道」と題した文章の中に、次のようなことが書いてあります。

 「雪道を行くときには先人の歩いた足跡を辿って行ければ、そう苦労が無くして目的地に到達が出来る。ところが初めて雪道を歩むときには、どこが道やら谷やら分からないで非常な勘難辛苦をする」と。

こういう意味の事が書かれてあるのを思いだしました。親鸞聖人が浄土真宗というみ教えを確立なさいましたそのご苦労を偲ばしていただきますと同時に、私ども果して親鸞聖人のみ跡を正しくうけついでいるのだろうかということをも含めまして、この『北越雪譜』の言葉を味わわさしていただきました。
 歴史の勉強と申しますのはこういう意味で、先人が歩まれた跡を私どもが辿りながら、今後私どもがどの方向へ歩んで行くかというその道を、そこから学びとるとともに、また新しい道を切り開いてゆくという意味があるのだとお考えいただいたらよろしいのではないかと思います。