「長寿社会・私の主張」  最優秀賞


私の生きがい

ビハーラ会員 坪井 金二

 こんにちはと声をかけて部屋にはいると、Sさんがベッドに座り、知り合いの人が手書きしてくれた歌集を手にしている。内容は童謡を主体にしたものだが、Sさんはこれを宝のようにして、小さな声で読んだり唄ったりしている。
 Sさんは誰が訪ねても過去のことを克明に話してくれる。多少被害妄想的な面も見受けられるが、苦しい胸のうちを切々と訴えて止まない。ここは某特別養護老人ホームの一室で四人部屋になっている。
 私は三年ほど前から、月に三回程度この老人ホームを訪れて、お年寄りとの対話、歌、行事参加等の奉仕をしております。Sさんとも長い付き合いになりました。Sさんは話し出すと止むところを知らないので、誰からも敬遠されているようです。しかし、私は出来るだけ話を聞くように努めてきました。  その時私は一瞬ひらめいたものがありました。Sさんと一緒に唄ってみようかと。Sさんは喜んで応じてくれました。旧制女学校を出たというSさんでも八十八歳という高齢のせいか節回しの違うところもありましたが、とにかく一生懸命でした。
 そして、とても晴々として何度もお礼を言いました。今迄は止めどもない話に耐えきれず、こちらから又次に聞かして戴きましょうと言って別れると、とても淋しそうにしていたのに。もうこれからは歌を通して心が通い合うことができると思うと、とても嬉しくなりました。
 それから五日目、老人ホームの誕生会に参加しました。その月は九十二歳を頭に五人の該当者がありました。お年寄り達は昔の歌を唄い、職員も参加して雰囲気を盛り上げていきます。私も乞われて一曲唄いました。  そしてSさんの隣に座り、唄いましょうと言いますと、声も出ないし、恥ずかしいから嫌だと言って受け付けません。私はマイクがあるし一緒に唄うからと、外の人も極力勧めた結果、漸くその気になり歌集を見ながら、『あの町この町』等を見事に唄いました。
 そこで、私はSさんが今持っている歌集は古くなったし、傷んだところもあるので、内容も違うもので新しいものを作って、より一層楽しんでもらおうと考えました。
 そして童謡を主にして、十数曲を選び、判りやすいように筆で書き、表紙も丈夫なものにし『うたの花束』という題名を付け、数日後に持っていきました。
 はじめのうちSさんはこんな立派なものを戴くわけにはいかないと、再三固持されましたが、漸く受け取ってもらい二人で一通り唄いました。その後私が訪問するとSさんの方から唄ってくれと言うようになりました。そして毎月の誕生会には、みんなの前で唄うことが出来るようになりました。
 人間は高齢になるにしたがい、心身ともに衰え、社会情勢にも疎くなり、どうしても孤独になりがちですが、Sさんもそういうタイプの人でした。
 しかし、その後は少しずつ性格が明るくなったように見えます。私にも励みが出てきました。今では歌集『うたの花束』は二人の共通の宝物であり、私にも生き甲斐を与えてくれるものとなりました。
 さて、ボランティア活動は公平を旨としなければならないことはいうまでもありませんが、私は今、次のことに悩んでいます。
 老人ホームには老・病を併せもっている人が多い。私は活動相手として知らず知らずのうちに聞こえる人、話せる人、理解力のある人を選んでいるのではないだろうかと。
 どの人も家庭の幸せのため、社会の発展のために長年にわたり尊い人生を捧げ、いまその終着駅にさしかからんとしているのです。痴呆症の人も、ねたきりの人も命の尊さにはかわりはありません。その尊厳さに気づかせて戴き奉仕を続けたいと思うばかりです。
 私がモットーとしているものに『求めてする苦労は苦痛にならない』という言葉があります。高齢化時代を迎え、人生の第一線を退いてから、いわゆる老後という時間が非常に長くなりました。自分はもう充分に働いてきたのだから、老後はもう何もしなくてもよいというのでは、あまりにも淋しいと思います。勿論若者に負けないくらい、バリバリやっておられる方もありますが。
 例えば、老人クラブの加入率がよくないと言われます。特に市街地が悪いようです。私の地域をみましても元気な老人の加入が少ないようです。これもクラブ結成当時は元気だった人が、だんだんと年を重ね退会したり、死亡していく中で、新しい年代の加入が追いついていかないというのが現状のようです。  では何故新しい年代の加入がないのか、一口に言えば「魅力がない」ということでしょうか。具体的に考えてみると、六十歳代と八十歳代とでは二十年の開きがあります。これだけ違うと、考え方、行動力、経済力等にかなりの差が出てきます。
 六十代、七十代ではまだ充分に自分で考えたり、行動も出来ます。あえて話の合わない世代の仲間に入りたくないというのも一理あるかと思います。
 そこで、私は発想の転換をお願いしたいと思います。クラブに入って何か恩恵とか良いことを期待するのではなく、自分達の先輩のお世話をさせて戴く。先輩は長年にわたり、社会のために尽くされてきた方々です。  その先輩に少しでも生き甲斐づくりのお手伝いをさせて戴くという気持ちをもってもらうのは無理でしょうか。自分達もいつかは先輩のあとを辿るのです。「年寄り笑うな、行く道じゃ」です。後輩にも私達の後ろ姿を見せていく必要があるのではないでしょうか。
 高齢化時代にあたり、長年の経験、知識、技能を生かして、何か一つぐらいは社会に役立つことを、みんなが心掛けて、老後の生き甲斐としたいものです。

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