秋の彼岸会(ひがんえ)

深川 倫雄 和上




仏さまになったら、お浄土の聖衆(しょうじゅ)になります。
これを還相(げんそう)の者と申します。
安心でもあり、楽しくもあります。

 聖徳太子さまは大阪四天王寺の西門に上り、真西に沈む入陽(いりひ)の方を拝まれたと、子供の時から聞いてきました。年を重ねますと、このことが次第に慕わしく思われてきます。

 私のこの世の命はもう長くはない。間もなく出かけねばならない。どこへ行くか。分かったこと、西方浄土に参ります。この世の息が止まったら、寸秒もおかず、お浄土へ移住いたします。この世には五尺の体、亡骸(なきがら)を残してゆきますので、この世の人々がよき様にするでしょう。私はこの世に何の心残りもなく、置いてゆくものもなく、お浄土へ参ります。この世は長居をするべき(くに)ではございません。お浄土は(さと)りの刹でございます。

お浄土に移りましたならば、即座に無上仏(むじょうぶつ)の覚りに入ります。この無上涅槃(ねはん)の世界は凡夫である私たちには、(うかが)うべくもありませんが、仏さまになったら、仏さまの世界に(とど)まるものではないそうです。お覚りから因の位に出る出門(しゅつもん)の菩薩となって、お浄土の聖衆になります。これを還相(げんそう)の者と申します。三部経に説かれてあるお浄土の様々な国土荘厳(こくどしょうごん)の有様は、この出門還相の聖衆の世界でございます。

 お浄土に参りますと、このような洋々たる未来が私共には予定されています。安心でもあり、楽しくもあります。そのような結果を開くべき因の功徳として、南無阿弥陀仏(なんまんだぶつ)が私の身の上に行われています。自分のお称名(しょうみょう)を聞きながら、仕合せ者だなあと存じます。

教育新潮社刊『宗教』誌、平成五年七月増刊号所収)