なんまんだぶつのこの道は 

なんまんだぶつのこの道は、馬もとおれば驢もとおる。ミミズやバッタもとおる道。人間までもがとおる道。

なんまんだぶつのこの道は、探す道かと思ったが、探すまえに向こうから、喚んで招いて用意して、ちゃんと仕上げてあったとは、いくらなんでもうますぎる。それでも向こうがたのむなら、往ってやろうこの道を。

なんまんだぶつのこの道は、山もあれば谷もある。広い狭いもあるけれど私一人の大道だ。

なんまんだぶつのこの道は、あんなが無ければ生きられぬ。こんながなければ生きられぬ。恨み恨まれするけれど、みんながとおるこの道だ。

なんまんだぶつのこの道は、貪瞋痴の地獄道。ドンシンチとお囃子のBGMまでついている。煩悩だらけの横着者が、浄土へ往くのはウソの嘘。嘘でもいいわいこの道は、凡夫の私の歩く道。

なんまんだぶつのこの道は、世間の役には立たないが、人の荷物は背負えないが、親の名前を呼びながら、あなたと一緒に歩く道。

なんまんだぶつのこの道は、じいちゃんばあちゃん往った道。道はたくさんあるけれど、私の歩くこの道は歓喜踊躍のほとばしる、浄土へつながる一本道。

なんまんだぶつのこの道は、往くも還るもとどまるも、あなたまかせで知らないが、知らない私を本として、あの手この手で仕上がった、五劫思案の往還道。

趙州の石橋をヒントに遊んでみました。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、称名相続 ...



阿弥陀経 

家のじいさんは毎月、父母や先だった子供の往生した日の夜のお勤めには阿弥陀経を読誦します。
このようなじいさんの姿を見る度にじいさんにとっては、教典がお釈迦さまのお説法のように感じられているのだと思います。

誰に聞かせるわけでもなく、じいさんとばあさんが二人きりで仏壇の前で阿弥陀経を読誦讃嘆しています。

もう経の意味など、どうでもよいことなのでしょう。ばあちゃんは子供の往生した日も忘れてしまっています。
でも老いた目は経本の文字を追い、口には経文がこぼれての助音です。

小生はこのようなじいさんとばあさんの子として生まれたことが誇りです。

世間怱怱として毎日忙しそうにして心を亡くしている小生に、なんまんだぶつの道を示してくれ続けている善知識ではありました。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、称名相続 ...



私ひとりの五劫 

夕飯の時じいさんと話をしていて、何で阿弥陀様は五劫もかかんなさったんにゃろ。一劫くらいで解からんかったんにゃろか、という話なった時の事。

ひょっとして法蔵菩薩は一人ひとりの人生を、隈無く一回やんなさったに違いないと言うことになりました。
人が悩み苦しんでいるときには辛く悲しいものです。そして誰か私のこの苦しい気持ちを解って欲しいと思っても、誰も当人のようには解ってくれません。

かえって他者がこの気持ちを解ってくれない事に苦悩が倍増する事もあります。あなたの気持ちは解るなどと口でいくら言ってくれても、現に経験している苦悩は、経験しているその人にしか解りません。

その経験すらもそれどれの境遇や生きてきた道のりなど、一人として同じものはないのですから、共感にはなりえても苦悩を共有することはできません。

そりゃそうです。自分自身が他者の苦悩を、自己の苦悩のように苦しみ悲しみそして解ってさしあげた事など、未だかってないのですから。

法蔵菩薩、五劫兆載永劫の時あらゆるいのちを一度経験し、あらゆる衆生の苦悩をつぶさに経験して下さって、仕上げて下さったなんまんだぶつです。
小生のいのちを、人生を、苦悩を一通り経験して下さったからこそ、これで間違いないと建てられたご本願でした。
何をしでかすか危ぶまれてならない、このいのちを目当てに、苦悩を材料としてのなんまんだぶつです。
この人生は、法蔵菩薩の経験して下さった人生を、苦悩を、悲しみをもう一度なぞっていく人生なのかも知れません。
腹がねじ切れるような煩悩に襲われた時、法蔵菩薩さんもこの想いを経験なさったのだなあ。この悲しみ、寂しさ、怒り、そして喜びも。あらゆる想いを経験して下さったから、そのままでいいんだよ、間違いないよと催促してまで聞こえて下さる喚び声なのだ。

胸をたたき、おなかをさすり、ここがあなたのお宿りの場所。よぉかったなぁ。

なんまんだぶ、なんまんだぶ。あまり阿弥陀様に心配かけんようにしょうっと。

なんまんだぶ、なんまんだぶ 、なんまんだぶ、称名相続 ...



声の御荘厳 

友人の寺の門徒会館の落慶法要で、讃仏歌を聞いたときには感動したもんです。

白いガウンの7〜8人の女子高校生がスポットライトの中で、讃仏歌を唱うのを二百人ほどの門徒さんと聞き惚れたもんです。

ブッダ〜ン サラナ〜ン ガッチャミ〜 なんてクライマックスには、もうほとんど、菩薩さまか天女の声のように聞こえたものです。一人ひとりのお嬢ちゃんが、ご本尊に礼拝して退場していったあとに門徒全員の正信偈唱和です。

こころなしか、あの時の正信偈は浄土へ届くんじゃなかろかというほど大きな大きな声での唱和でした。
たった今聞いた仏徳讃嘆の歌声に、そして隣の人に負けてたまるかと声張り上げての正信偈唱和、そして高声でのなんまんだぶつに、ご本尊の阿弥陀様も嬉しそうでした。

耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す、るちゃこの事じゃなかろうかと、称えられ、聞こえて下さるご法義を味わったことでした。
あれは浄土から、なんまんだぶつの樋をかけて、門徒のそして小生の口に届けられた名号だったのでしょうか。
酒も飲まずに酔っぱらったのは久しぶりの事でしたが、やっぱし、声の御荘厳は人を感動させる、何かがあります。

なんまんだぶ、なんまんだぶ 、なんまんだぶ、称名相続 ...



セミは夏を知らない 

朝菌は晦朔を知らず恵蛄春秋を識らず、伊虫あに朱陽の節を知らんやという文言がある。

今年の夏は蝉の当たり年で、たくさんんの蝉が庭で鳴いていました。ケヤキの木の回りは蝉が地上へ出たときの穴がたくさん開いています。

なかには地上へ出てすぐ力尽きたにでしょうか、孵化できずに死んでいる蝉の幼虫もいます。6〜7年も地中で過ごしてきたのにまるで死ぬために地上へ出たようなものです。
そんな事を知ってか知らずにか、仲間の蝉の大合唱が喧しく庭にこだまします。

春にはたんぼでカエルの大合唱です。思い思いの声で鳴いていますが鳴いている意味を知ってカエルは鳴いているのでしょうか。

秋を告げる虫達ははたして鳴く意味を解って鳴いているのでしょうか。(なんかやら荘子風自然観ではあるなあ。)

浄土門は愚者の宗教です。声となって称えられる名号が、あなたの親様なんですよ、なんまんだぶつと称えて生きていけとのお示しなのでしょうか。

超日月光の阿弥陀様が西方に浄土を建立したから、太陽まで西へ往くようになった西方に、おまえの往生する処があるんだよとのお示しです。

現代人はそんなことを信じられないなどという人は、生も死もそして生きるということも一度も考えたことがないのでしょう。

御開山のお師匠さんの法然聖人は彼の仏願に順ずるが故にと仰せになりましたが、順彼仏願故の「故」は小生ひとりを「場」としたものであり、他者への説明の必要はないのが念仏です

小生にとっては、なんまんだぶつはどう称えるか、何故称えるかの詮索をするものではなく「称える」称えものです。
意味や訳は声になって称えられ、聞こえるなんまんだぶつの方にあるので、小生の知ったことではありません。

やがて小生も酒の飲み過ぎで痴呆になって、オシッコ垂れ流しになっていくのでありましょう。
そんな小生をなんまんだぶつとなって浄土に「連れて帰る」というのがなんまんだぶつのご法義です。

そしてすぐさま還ってきて真の菩薩行をさせようというのが阿弥陀様の下心でありましょう。
ですから小生のような不心得者はあまり浄土へ往くきたくありません。(笑)

しかし伊虫あに朱陽の節を知らんや、と何も解らない小生にも帰り還るところがあるからこそ、安心して今生夢の世の中で、いましばし、なんまんだぶつを称え遊んでいます。


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ほんこさん

 

御開山さま。越前ではあなたの恩に報ずるという報恩講の真っ盛りです。

あっちの寺でもこちらの寺でも、普段は葬式の時しか人の出入りのない寺でも、あなたの報恩講が営まれます。
弟子一人ももたず候ふ、とあなたが仰せになったのもかかわらず沢山の人がお寺へ参集しあなたの報恩講を勤めます。

御開山様、あなたはいつも阿弥陀様の真っ正面にただ一人阿弥陀様に向かっての讃嘆でした。
弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり、と自分一人のための本願であると仰せになりました。
そんなあなたの後ろ姿を見てあなたの背後から、阿弥陀様のご法義を聴聞させて下さることです。

われ指をもつて月を指ふ、なんぢをしてこれを知らしむ、なんぢなんぞ指を看て、しかうして月を視ざるや、とあなたに叱られそうですが小生は愚かであります。
小生には真如法性とか無分別知とか空とか言われてもさっぱり解りません。分別に分別の屋を架するだけであります。
あなたの指して下さっている月を見るよりも、あなたの阿弥陀様に向かい讃嘆する後ろ姿に、あなたの中で燃えている阿弥陀様の菩提心を感じ取らせて下さることです。

あなたは信心は菩提心である、願作仏心が度衆生心であると仰せになりました。 これを浄土の大菩提心であるとの仰せです。
仏道の正因は菩提心である。しかしこの菩提心はどうしてもこちら側から起こすことは不可能であるとのお示しです。

もし小生が菩提心を起こし得るなら、菩提心は小生の内にあるものであり小生を超えることが出来ません。
小生を超え得ないような菩提心は小生を救うことは出来ません。

全く、仰せのように自力聖道の菩提心はこころもことばもおよばれずであります。
菩提心はこちら側が起こすものではなく、なんまんだぶつと届けられている阿弥陀様の本願が菩提心であり、その願い中に生きていけとのお示しでしょうか。

菩提心はこちらが起こすのではなく、阿弥陀様の発した菩提心・本願に包まれて生きていけとのお示しでしょうか。

阿弥陀様の途方もない誓願・菩提心に感動し、小生を包んで下さる菩提心の中に自己を見いだしていけとのお示しなのでありましょうね。
阿弥陀様の度衆生心が小生の浄土への願生心、願作仏心となってなんまんだぶつとはたらいて下さっているのですね。

いやはやとんでもないご法義ではありますね。まさに 師主知識の恩徳ではありました。
小生身を粉にするのは嫌ですが、せめてあなたのお造りになった恩徳讃を大声で讃嘆することくらいは出来そうです。

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし


なんまんだぶ、なんまんだぶ 、なんまんだぶ、称名相続 ...



ブッド・バイ(みほとけのおそばに) 

 二才の時小児マヒになられ、青春の頃脊椎カリエスになられ、障害の中でなんまんだぶつの道を歩いていった御同行が、またひとりどこかへ往ってしまいました。

 佐々真利子さん。あなたは、六十を越した年齢にもかかわらず、無邪気な少女のような笑みをいっぱい浮かべて、夢中になってなんまんだぶつのみ法(のり)を語って下さいましたね。

あなたは、平成九年一月に四十七年間お育て下さった、恩師藤原正遠先生がお浄土へ還帰なされたことを、まことに寂しい極みでございますと語っていました。

寂しい極みという言葉の中に、悲しみや孤独を通り越した世界を垣間見せて下さることでした。両手に軍手をはめて、両手だけで身体を移動するあなたに、 なんまんだぶつのおや様を聞いたことでありました。

念仏とひとり遊びのできること これを大悲とわたくしは云う 「正遠」

このうたのごとく、なんまんだぶつと、ひとり遊びの上手なあなたでした。

何処へ行くにも人の手を借りなきゃなりません、と語ったあなたは、一切 法のご活動の世界で、いつも声になって下さった、なんまんだぶつとひとり遊んでいたのでしょうね。

一つ処(ところ)で倶(とも)にまた会える世界(倶会一処)。帰りそして還る世界であなたは 正遠師と再会なさって嬉しいでしょうね。

越中の雪山師は、「ブッド・バイ(みほとけのおそばに)」という著書の中 で以下のように語って下さいました。

「約束の枚数は尽きた。ふつうなら、グッドバイだが、グッドはゴッド、神がおそばにということだろう。ならばわれら仏教徒、別れは”ブッド・バイ” −−仏おそばにまします。たとえ一人になろうとも、仏はあなたと共にある。今日一日、生きている間は生きている。逢えてよかった。ブッド・バイ!。」

(雪山隆弘著・ブッド・バイより引用)

そうでしたね。阿弥陀様がごいっしょでした。そしていろんな人が小生を育 ててくれています。佐々さん、なんまんだぶつのお育て有り難うございまし た。そして、いましばらくのお別れです。

 ブッド・バイ。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、称名相続 ...



おや様の名前はなんじゃ 

うらをみせ おもてをみせて ちるもみじ

家には八十五才になる老人性痴呆のばあちゃんがいます。痴呆になったら何でもみんな分からなくなるから、呆けは怖くないと言う人もいます。
確かに物忘れは激しく、人の言った事もすぐ忘れてしまいますが、人としての感情の部分はしっかりと残っているものです。

家族の会話も理屈ではなく、感情で受け取っているだけに色んな誤解が起こりやすく、ばあちゃんにとっても家族にとっても、辛い思いをする事が数多くあります。

そして、家のばあちゃんを見ていると、呆けていくのには大変なエネルギーを使うものだと感心します。
なにせ自分が何をしたかが分からないのですから、現実に起きている事との整合をとるのに四苦八苦し、そして家族との会話には作話(さくわ)で応えようとします。

自分の物を片づけ忘れて見つからない理由を説明するのに、誰かが盗ったという作話で表現をし、時にはどうせ呆けて気違いになったんじゃとふてくされたりもして、毎日を過ごしています。
自分が崩壊していく恐怖と、毎日直面していくのはとても大変な事なのです。

「反省」も忘れ、「生きる」ことも忘れ時には人を罵り、怒り嫉み貪りに心が感情が揺れ動く、狂ったかと思われるばあちゃんです。
もっと呆けがひどくなったら、座敷牢を造って閉じこめるか縄で縛っておいてくれ、と言うばあちゃんです。

小生は、そんなばあちゃんに「おや様の名前はなんじゃ」と聴くと、ばあちゃんは、「なんまんだぶつ」と答えます。
そして「こんな娑婆はしばらくじゃ。はよ、お浄土へ往きたいのぉ」と言います。五十数年前に死に別れた子供達が待っててくれると言います。

「なんまんだぶつの船に乗り、なんまんだぶつの切符をもろて、着いた先がお浄土やのぉ」と小生が言うと、なんまんだぶつを称えます。

やがて痴呆が進んで、なんまんだぶつも忘れる時がくるのでしょう。でもばあちゃん。忘れてもいいぞ、このご法義は、なんまんだぶつの船の上に、もう乗っているんにゃもん。
待ってる子供達の処へ安心して死んで往けよな。

うらをみせ おもてをみせて ちるもみじ

自分を産んで育てて下さった母親の、呆けて狂うていく姿を見るのは子供としてはいくつになってもやりきれないものですが、なんまんだぶつの親さまだけが、ばあちゃんとごいっしょして下さいます。

母親(ばあちゃん)の呆けを受容しきれずに、すぐ叱ってばかりいる小生にも阿弥陀さまが、なんまんだぶつと声になってごいっしょして下さいます。
もったいないことではありました。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、称名相続 ...



一枚の答案用紙) 

人は生まれた時に、一枚の答案用紙を持って生まれて来るのだ、と聴いたことがありました。

この答案用紙は、全くの白紙で何の問題も書いてなく、また提出期限もありません。
さ〜て、この問題のない答案用紙に、人はどんな名前を記し、問いと答えを描いていくのでしょうか。

どうやら自分で問題を考え、自分の涙と汗で答えを出していくしかなさそうです。
生きるという自己の人生が問いであり、一人ひとりが自己のいのちを通して問い、そして、答えを出していくしかなさそうです。

その問いと答えが「お前は何者だ」というとんでもない根元的な問いであり、答案用紙の名前の覧に記述するものになるのでありましょう。
林遊とか、rinyou等という記号の羅列ではない、父母未生以前の「お前は何者だ」に答えを出すことが、たった一人の、一枚っきりの、かけがえのない答案用紙に、答えを出すことなのでしょうか。

小生の住む越前、永平寺の道元禅師は、「仏道をならうというは自己をならうなり、自己をならうというは自己を忘るるなり」とおっしゃって下さっています。

宗祖、親鸞聖人は「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」と仰せです。阿弥陀さまの本願の中に、「お前は何者だ」という問いを聞いていくのが、お前の問いと答えなのだよ、とのお示しです。

法蔵という名の菩薩が、あらゆる生きとし生けるもののために、阿弥陀さまになり、なんまんだぶつになったという、仏願の生起本末です。

なんまんだぶつのご法義は、聴聞に極まると先達はおっしゃいます。聴けば「聞こえる」阿弥陀さまのご信心のご法義ですとの仰せです。
聴くのはこちら側で、聴けば「聞こえる」なんまんだぶつのご法義でありました。

聴く側の生業(なりわい)や、生き方や生活態度、人格や、感情には何の関係もなく、ただただ自己を忘れて、聴けば「聞こえて下さる」仏願の生起本末でありました。

こちらがはっきりするよりも、はっきりしたご本願に、信心の目的とやらに迷うよりも、金剛堅固の阿弥陀さまの「ご信心」に自己を放り込んでおけとういことでありましょう。

自分が何者であるか、仏教の理想も信心の目的も、生も死も、生きる意味も死ぬ意味も解らない小生に、ただ、のんびりゆっくり、心のゆるみをもって阿弥陀さまの御本願の中に「生かされている意味」を聴聞させて下さることです。

口先に称えられ、行じられ、受け取られ、聞こえて下さる、なんまんだぶつに自己をならうばかりなのでしょう。いやはや、いま、ここに、わたしに、阿弥陀さまが、称えられて、ごいっしょなのでありました。

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ジャガイモ 

過日、小生が畑を耕して、じいさんとばあさんがジャガイモを植えました。半分に切った種のジャガイモに灰を付けて、腐らないようにして種芋を植え土をかけます。

植えられた種芋は、やがて小さな芽を出し、雨にうたれたり、日の光を浴びて育っていきます。草取りは惚けたばあちゃんの仕事です。

やがて背丈が伸び日射しが強くなる頃に、白い小さな花を付けます。不思議なことにジャガイモにはジャガイモの花が咲き、大根の花は咲きません。
やがて初夏の日射しの元で収穫の芋ほりです。土から穫れたばかりのジャガイモは、変な格好の芋ばかりですが、どれもとてもおいしいジャガイモばかりです。

スパーでジャガイモを買う人は、ジャガイモがどのようにして出来るのかは知らないのかも知れません。
出来上がったジャガイモ「だけ」を見て、これはジャガイモだと思うのでしょう。
春に土を耕し、肥料をやり虫が付かないか配し、草取りに精をだし、小さな可憐な花の美しさを知っている者だけが、本当のジャガイモをジャガイモだと知りうるのでしょう。
出来上がった結果だけを見ても、その物の本質は解らないようなものかもしれません。

法蔵という名の大乗の菩薩が、何故、阿弥陀と呼ばれる仏様に成ったのか。何故、なんまんだぶつと、称えられる名号に成らなければならなかったんでしょう。
幾千万の御同行が、世間からは馬鹿にされながらも、何故なんまんだぶつを称え、命懸けで信心正因と、ご信心を伝えて下さり、その中で生き、そして死んでいったのでしょうか。

親鸞聖人は「仏願の生起本末を聞け」とおっしゃいます。出来上がった阿弥陀さまだけを聞くのではなく、法蔵菩薩と現れて下さったところが、大切なのですよ、と示して下さるのでしょうか。

如来の作願をたづぬれば
 苦悩の有情をすてずして
回向を首としたまひて
 大悲心をば成就せり
苦悩の有情(情を持って生きる者)の為に、はじめ(首)から小生への回向で仕上げた、大悲心のご本願でありました。
小生の、浄土に往生する業因は、すべてお仕上がりと聴きました。口に称えら聞こえて下さる、なんまんだぶつの生起本末とは、苦悩の有情を材料としてのご本願とのお聴かせでありました。

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6月28日 

見知らぬじいさんやばあさんは、普段何を考えているのかよくわからないので、会話の糸口を見つける事に苦労することがある。
しかし、越前ではじいさんやばあさんと会話を成立させるひとつの方法がある。
 
「ばあちゃんヨ、昭和23年の6月28日は何処にいたんじゃぃのぉ」
 
「ありゃぁ、地震ん時ケ。ウラあん時は田んぼにいて二番草(田植えから二回目の除草作業)取ってたんじゃ。ほらもう娑婆がひっくり返るかと思て、たんぼ道まで這うて上がったんじゃが腰抜けてもて、なまんだぶ、なまんだぶと言うだけやった」
 
「地震やのぉ、ウラんとこはオババが家(ウチ)の下んなって死んだんじゃ。いかい(大きい)梁が胸んとこへ落ってのぉ。惨いもんじゃった」
 
「ウラんとこの近所では五人死んでのぉ。筵を並べて寝かいておいたが、サンマイ(火葬場)も潰れてもたで、割木で野焼きしたもんじゃ」
 
アポロ宇宙船が月に着陸した日は知らずとも、昭和23年6月28日の事は、昨日のように覚えている、じいさんやばあさんである。
今日はそれから50回目の6月28日である。小生の家でも顔も見たことのない兄二人が震災で死んでいった。
じいさんとばあさんはよく二人の思いで話をするが、西方浄土の住人となった兄弟は、いつもいい子なので親不孝の小生は少し頭が痛い。
 
それにしても何故年寄りは、昭和23年の6月28日という日付を覚えているのだろうか。
きっと自分の事だからハッキリ覚えているのかも知れない。人間が月に行こうがどうしようが、そんな事はどうでもよい事である。
自分自身がどうなるか、有縁の人がどうなったかが凡夫の最大の関心事である。社会を論じ他者を論じる事も、このご法義には用意がされているのかもしれないが、自分のことしか考えられない浅ましい小生である。
しかし顔さえ知らない地震で死んだ兄弟であっても、西方仏国に往生して、仏様に成ったと思い取らせて下さることは出来そうである。
やがて小生も往生していく西方仏国、なんまんだぶつの仏様の国であるお浄土である。
 
六月二十八日は、越前の数千人の人が浄土へ往き生まれた誕生日である。
さて、今晩は下手くそながら、お仏壇の前で大無量寿経を読誦して、お浄土の先輩達と楽しませてもらうことにしよう。

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