こらっ、なんまんだぶつせんかい


うちの婆ちゃん八十五。
少し痴呆が始まって、何でもすぐに忘れます。
なんまんだぶつも忘れがち。

息子はすぐに怒鳴ります。
「こらっ、なんまんだぶつせんかい」

婆ちゃん念仏称えます。
「ようよう言うてくれたのお。お前だけじゃこんなこと、 言うてくれるは有り難い」

惚けて念仏忘れたら、叱りつけても念仏を、させてくれとの頼みです。
今日の日にちも分かりません。
亡くした子供の命日も、五人も亡くした悲しみも、 みんな忘れてお念仏。

町から田舎に嫁に来て、牛馬の如くはたらいて、
田舎の暮らしになじめない、つきあい下手の婆ちゃんに、
おやさま一緒にお念仏。
有り難かろうが無かろうが、わけはおやさまご存じの
損と得とをいっぺんに、なんまんだぶつと、ただもらい。

それでも時々思います。
「はぁ、もっと惚けんうちに、はよ死にてえなぁ」
爺ちゃんすぐに叱ります。
「おやさまのいのちやさけ、どうにもならんこっちゃ」
愚痴をいってはお念仏。
ため息ついての称名に、なんまんだぶつのおやさまが、
今日も婆ちゃんと一緒です。

聞いて聴いて聴き抜いて、何十年も聴きました。
聴いた聴聞みな忘れ、覚えた理屈もどこへやら。
それでも朝晩お勤めは、欠かしたことがありません。

きぃみょうむぅりょおじゅにょおらい。
たとえお仏飯忘れても
あーなかしこ、あなかしこ。
七高僧に御開山、蓮如さんも一緒です。

信じることも、知ることも、みんな忘れて
残るのは、なんまんだぶつのおやさまの
とぎれとぎれのお念仏。

なぁ、みんな忘れていいんやざ。
惚けて死のうが狂おうが
惚けたまんまがおやさまの
狂うたまんまがおやさまの
間違わさんの念仏が、今日も婆ちゃんと一緒です。

なんまんだぶつの船に乗り、
なんまんだぶつの帆を揚げて
なんまんだぶつの風うけて、
なんまんだぶつのおやさまの、

お浄土へ往く船の上。




きいみょうむうりょおじゅうにょらい


本願寺派の別院で寺務所の中で職員の方と話をしていたら、四〇位の女の人がやってきた。

名古屋から福井へ引っ越してきて別院の駐車場を借りる事になっているらしい。
担当の職員が席を外していたのでもう一人の職員が探しに行っている間の事。
小生を別院の職員と勘違いした女性は「ここは大きなお寺ですねぇ」と愛想がいい。

「ところで奥さんのお手次ぎのお寺の御宗旨はなんですか。」小生が問いかけると

「さぁ一体何なんでしょう。」と首をかしげる。無責任な小生は

「ここは、なんまんだぶつのお寺やけど、お宅の宗教は何やろのお。もし一緒なら駐車料金、まけてくれるかもしれんよ。」

「あ〜ら、そういえばなんまんだぶつって言ってました。死んだお婆ちゃんがいつもお仏壇の前で、なんまんだぶつって言ってました。それから・・・・・」と言いながら首に手を当てて何かを思いだしている。

「きいみょうむうりょおって、おばあちゃん言っておらんかったかの。」と小生。

「そうそう、きいみょうむうりょおじゅうにょらいって言いながらお仏壇に手を合わせていました。思い出しました。子供の頃にもよくさせらんですよ。」と言います。

「ほんならあ、ここのお寺といっしょの浄土真宗やが。駐車料金まけてもらいなさいね。」

「でも、きいみょうむうりょおじゅうにょらいって、どういう意味なんですか。子供の頃から聞いているんですが。」

「ほれは、このお寺へ遊びに来ると解るようになるざ。たまにお寺へ遊びに来なさいね。」

と無責任に言っているところに担当の職員が来て話は中断した。

閑話休題

むかしから、おじいさんやおばあさんは、朝晩お仏壇の前で二十分も「お勤め」と称して「正信偈」をあげていました。でも世の中が忙しくなって二十分もお仏壇の前に座るのは大変なことです。
せめて週に一度ぐらいはたとえ三分でもお仏壇の扉を開けてなんまんだぶつと合掌するのも面白いかも知れません。

五百数十年前に蓮師が制定して下さった「正信念仏偈」は帰命無量寿如来で始まります。
幾多の人々の口にのぼった懐かしい、そして何か心が暖かくなる、耳の底に残っている「きいみょうむうりょおじゅうにょらい」ではありました。





南無阿弥陀仏


床屋で散髪をしながら世間話をしていて、ふと話題が通夜の話になったときのことである。最近同業の人が亡くなって、その通夜に行って来たらしい。

「だいたい、何で人が死んだときは北枕にするんやろね。どっちでもいいと思うがなあ」と若い店主が小生に聞く。

「ふ〜ん、そんな簡単な事知らんかったんか。あれは仏壇と関係があるんや。仏壇の中には何が入っている?」と小生。

「そうやなぁ、仏壇の中には分けの判らん色んな物が入っているしなあ」と鋏を動かしながら考えている。

「仏壇には一番大事なものが入っているやろ」と小生が水を向けると

「そや、仏さんが入っているわ。一番正面に仏さんが入ってる。南無阿弥陀仏って書いてあるわ」

「ほうやろ。そやから、あれを読んだら、南に阿弥陀仏は無しって書いてあるがね。だから人が死んだら頭を北にして寝かせるようになったんや」

「ああそれで、北枕にして寝かせるんか。南に阿弥陀仏無しか、いい事聞いた今度お客さんに教えてやろう」と感心する。

小生あわてて訂正したが、ひょっとしたら訳の分からない迷信はこんな馬鹿話から、出来あがったのではないかと思う事しきりであった。

字に意味があるわけでも、発音に意味があるわけでもない、小生に称えられて聞こえて下さる「なんまんだぶつ」でした。





なんまんだぶつの船


ある所でおじいさんの葬式がありました。その通夜の法話の後でサングラスを掛けた、おばあさんが涙を流しています。
おばあさんは五〇代に目が見えなくなって、立ち居振る舞い、全ておじいさんの手を煩わさなければ出来ません。
たのみにしていたおじいさんが亡くなって、目が見えないおばあさんは不安で一杯だったのでしょうか。

「私は目が見えません。何でも死んだら一人で死出の山路を越え、三途の川を渡らにゃならんと聞いてきたが、目が見えん私はどうしようかと思っておりました。今のお話を聞くと阿弥陀様の船に乗って、お浄土へ往くと言われる。こんな目の見えん年寄りでも、その船に乗り遅れんようにすればいいんですね。なまんだぶ、なまんだぶ」

お坊さんが答えます。

「ばあちゃん。乗り遅れる心配もいらんの。阿弥陀様にまかせて、もうその船の上に乗っているんやぞ。なんまんだぶつの船に乗って、着いた先がお浄土やぞ」


この話を聴いてから、小生の家ではなんまんだぶつの船ゴッコをしました。なんまんだぶつの切符の検札です。
「なんまんだぶの切符を聞かせてくれ」と言って、称名しながらのなんまんだぶつのご催促です。
じいさんも「なんまんだぶつ」、ばあさんも合掌しての「なまんだぶ」を聞かせて下さる、家族そろっての御恩報謝の工夫でした。


御開山、親鸞聖人がほがらかに讃歎なさいます。

しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず。すなはち無明の闇を破し、すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す、普賢の徳に遵ふなり、知るべしと。





きみょうむりょうの葬式


「ちょっと、あんたどう思う。私この間近所の一人暮らしのばあちゃんの葬式に行ったんやけど、坊さん『きみょうむりょう』しかせんのや。他のお経は何もあげんと『きみょうむりょう』だけ。あんな寂しい葬式は無かったわ」

「★?※?●?▲?△?○?◎?▼?□?」

浄土真宗の葬式はどんな人の葬式でも、帰命無量寿如来の正信偈が拝読されます。赤ちゃんの葬式も年寄りの葬式も皆同じです。

同行の、なんまんだぶつが唱和されます。あなたはお証(さとり)の仏様になりましたね。私はまだこの娑婆に用事があって、もうしばらく煩悩と戯れて暮らしてまいります。


辛いこと悲しいこと、腹立たしい瞋(いか)りに胸を焼かれる事があっても、この煩悩には、もう根が生えておりませんとの仰せです。このいのち、あなたと同じお浄土へ往くいのちと聞きました。


今、仏様になったあなたの名前を称えさせて下さりながらの、暫くのお別れです。今日はあなたの葬儀のご縁にあえて、本当に有り難うございました。

なんまんだぶつ、なんまんだぶつ、なんまんだぶつ・・・・・・・・。




死ぬ話し


友人の坊さんがある老人施設へご法話に行きました。数十人のお年寄りの前で、浄土真宗のおみのり(法)の話をした翌日のことです。


その施設の婦長さんから電話があり、七十過ぎのおじいさんが、初めて死ぬという説教を聞いたからでしょうか、夜になって熱を出してしまったらしいのです。


友人はナイーブな性格ですから、ちょっと話がきつかったかなと思い悩みました。
二人でこの話をしながら、だいたい七十を過ぎるまで自分が死ぬと言う事を、一回も考えたことが無いというのは、じいさんの方がおかしいのではないかという事になりました。


若い人はもちろんですが、年寄りまで死を自分の問題として考えなくなってしまっている事に、あらためて気づいたことでした。


長生きが一番、健康が大切、QOLと言いながら生と死を支える、何か大切なものを失っているのではないだろうか、と思わせられる出来事でした。
そして、あらためて人は必ず死ぬということを、教えて下さったおじいさんではありました。

浄土真宗の御法話は、聴いて解る話ではありません。先達はただ、聴いておきなさいよとおっしゃいます。聴けばやがていつか聞こえる時が来るのでしょう。


下手くそな坊さんの生ぬるい、阿弥陀様の法話が大好きな一変人の戯れ言でした。





別院では、なまんだぶしたらあかんのッ


今日は保育園の園児がそろって別院へおまいりです。参詣の大人たちの後ろに座って、別院の阿弥陀様の前で大きな声でなんまんだぶつを称えます。


でも、だんだん称名の声が小さくなり何か後ろのほうで言い争いをしています。
見ると年長組の男の子が年少組の子供を叱りつけています。

「別院では、なまんだぶしたらあかんのッ」と、叱っています。

きっと子供達の称名を聴いた大人達が、珍しそうに子供達を眺めたのでしょう。
その奇異な視線を年長の男の子は、いつも保育園で称えているなんまんだぶつは、ここでは場違いだからしては駄目だと思ったのでしょう。

お寺や家庭で、なんまんだぶつを聞くことは希になってしまいました。たまに称えていると奇異の目で見られるようになってしまいました。


人の生き方をやかましく詮索し、信心とやらに迷っているうちに失くしてしまったかもしれない、なんまんだぶつの話でした。

「知り合いの保育園の園長さんの話」






転悪成徳


教行証文類の総序に、なんまんだぶつを「転悪成徳」とする文言がありますが、小生は悪を転じるならば善ではないか、何故徳などということが言えるのか等と思ったものでした。
円融至徳の嘉号は悪を転じて徳を成す正智云々の文言です。もっとも単なる善ならば廃悪修善に陥って世間の倫理と変わらなくなってしまいます。

親鸞聖人は信巻の後半で、長々と阿闍世の廻心を涅槃経から引文されておられます。クーデターによって父親を殺した罪の意識にさいなまれ、地獄に墜ちるという阿闍世を家臣がいろいろな方法で慰めます。
父を殺したという罪に愁苦する阿闍世に、それは罪ではないとか地獄はない等と説きます。
しかし憔悴しきった阿闍世は、父殺しの罪の意識から地獄へ堕ちると一途に苦しみます。
傍観者は無責任な言辞を発するのですが、阿闍世はまさに父殺しの当事者なのですから、どのような言葉にも納得はしません。
もし、自分が自分で納得したところで、納得したという自分が残っている限り、ひょっとしたら地獄に墜ちるのではという疑いは残ります。
そして父を殺したという事実はどのようにしても消すことが出来ません。
この事実がある限り阿闍世は地獄へ堕ちるという事から逃れることは出来ないのです。

そこへ大医の耆婆がやってきます。耆婆は父を殺し地獄に堕ちると嘆き苦しんでいる阿闍世にプラスの話をします。

「善いかな善いかな、王罪をなすといへども、心に重悔を生じて慚愧を懐けり」と地獄しか見えていない阿闍世に慚愧の意味を教えます。

また父親の頻婆沙羅の天からの声をして、父殺しの罪の重いことを罪と知らせて仏世尊の所へ往くことを勧めます。単に慰めるのではなく地獄必定を示し、罪を罪であると引き受けさせてすみやかに仏の所に往くことを勧めます。
父殺しの事実を事実であると告げ、その責任主体は阿闍世以外にはないとの教示です。
こうして阿闍世は恐怖に震えながらも耆婆とともに世尊の所へむかいます。途中で地獄に堕ちる恐怖の為に、阿闍世は耆婆と同じ象に乗ってなんとか地獄へ墜ちるのを免れようとします。


そんな阿闍世が、仏世尊の法を説くのを聞き無根の信、自己の煩悩心より生じたのではない信を得ます。自己が自己によって自己を知る信ではなく、世尊の説いて下さった法をあるがままに、そのままに受け容れた信です。まさに他力廻向の信心です。

ここで阿闍世は心の向きが変わってしまいます。
地獄を恐れ父殺しの罪に怯えていた阿闍世が「われつねに阿鼻地獄にありて、無量劫のうちにもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もつて苦とせず」と衆生の為ならば地獄へ堕ちてもかまわないと言い切るのです。

地獄へ堕ちることに恐怖していた阿闍世が地獄を引き受けてしまったのです。父殺しの罪を己の罪として引き受け、あまつさえ衆生の為ならば地獄で無限の苦しみを受けてもかまわないと言い切るのです。

阿闍世はここで地獄を転じてしまったのです。地獄必定と引き受けることによって地獄を転じてしまったのです。地獄行きの悪を転じて善にするのではなく、己が地獄を引き受けることによって地獄を転じてしまったのです。まさに悪を転じて徳をなす転悪成徳です。

菩薩はいつも地獄行きと聞いたことがありますが、法華経の地涌の菩薩も地獄から涌きあがってきた菩薩なのでしょうか。
100の命を救うためにどうしても1つの命を殺さなければならない。
そしてそれを自己の地獄行きの罪であるとし、それを引き受けて地獄に墜ち、また還ってきて衆生済度を無限に繰り返していくのが菩薩道なのでしょう。
いや、ひょっとしたら地獄こそが菩薩の居所かもしれません。このような無限の菩薩の菩提心を四弘誓願に顕わしています。

 衆生無辺誓願度
 煩悩無辺誓願断
 法門無尽誓願知
 無上菩堤誓願証

やっぱりこのような言葉は人間の側の領域からは出てこない文言です。


 浄土の大菩提心は
  願作仏心をすすめしむ
 すなはち願作仏心を
  度衆生心となづけたり


罪を罪とも知らず、地獄を引き受ける力もない小生に浄土の大菩提心のなんまんだぶつを称えさせ、なんまんだぶつと聞こえる、なんまんだぶつの名号不思議のちからなりではありました。





胡瓜の初物 

「今日キュウリが2本穫れた。今年の初物じゃ」と家のじいさんがキュウリを家内に手渡しています。
キュウリはキュウリであってナスでもトマトでもない青々としたキュウリです。
春先に小さな種から苗になり、小さな黄色い花を付けてキュウリになりました。
種が種でなくなった時、因が因で無くなった時小さな芽が出ました。


やがてじいさんばあさんのお世話のご縁で大きくなって花を付けキュウリの実が果として出来ました。
私はそれを口に放り込んで、うまいうまいと食べてしまいます。 小生にとってはまさにこれが不・思・議なのです。

小生は大経を読んでもさっぱりわかりません。理解しようと思えば思うほどわかりません。きっとわからないように書いてあるのでしょう。
だいたい五劫なんて考えただけで頭がショートしそうですし、経自身が「若聞斯経信楽受持難中之難無過此難」といっています。
これを読んでわかる人は、とてつもない天才か、とんでもない馬鹿のどちらかでしょう。
天才は理解するし、馬鹿は受け容れるだけです。小生は馬鹿ですから理解できないので、説かれたことをただ受け容れるだけです。


受け容れるだけですから、生きていく上で何の得もありませんし指針にもなりませんし、小生自身も何も変わりません。
ただ、受け容れた、信じることも、疑うこともいらない仏願の生起本末が、なんまんだぶつと口先にあるだけです。小生にとってはまさにこれが不・思・議なのです。

煩悩の真っ直中にいる時には、煩悩は判りません。自分の頭に火がついて燃えている時に、頭が燃えていると思う人はいません。
怒りにはらわたが煮えたぎっている時には怒りが判りません。


怒りが収まったときに怒りが判るのですね。貪瞋痴の中にいてその貪瞋痴を煩悩と見えたときが煩憂悩乱の始まりです。
この煩悩を煩悩と見るのもまた煩悩です。煩悩が煩悩を見て煩悩だという煩悩ですね。

これを煩悩が見てまた煩悩だと煩悩が見るのです。キリがありません。
事実はいつも私に先行します。理不尽であろうが無かろうが、私が受け切れようが受け切れまいが、事実は常に私の先に出ています。
この事を、大河の真ん中で自分に向かってくる洪水を押しとどめようとしている、と教えて下さった方がおられました。


お念仏の先達は「南無阿弥陀仏ができたから、わしが案ずることはない」とおっしゃって下さっています。
家のじいさんは、ゴチャゴチャいうのはまかさんからやよ言います。
煩悩が煩悩を見るのではなく、向こう側が煩悩を告げて下さって、そのまま、まかせろというのです。

おまえはこれまでも(曠劫よりこのかた)どうしようもない奴だし、今も(現に)煩悩に狂うている。
そして、これからも(出離の縁あることなし)何をしでかすか分からない奴だから安心して任せろと、向こう側がなんまんだぶつとなって称えさせるのですね。


「称仏六字 即嘆仏 即懺悔 即発願回向 一切善根荘厳浄土」口先で称えるなんまんだぶつにこのような意味があるなんて、これほど訳の解からない理解しがたい話はないです。
しかし、こちらに訳はなくてもきっと向こう側に訳があるのでしょう。小生にとってはまさにこれが不・思・議なのです。

昔の田舎の年寄りは、なんまんだぶつ、有り難い。なんまんだぶつ、有り難いと繰り返しました。
小生はこの年寄りの有り難いは、感謝の意味なのだと思っていましたが、已今当、どうしても煩悩に狂っていかざるを得ない私を、なんまんだぶつとたのませて、なんまんだぶつと迎えとる、なんまんだぶつと声になって、そのまま来いよ、間違わさんぞ、待っておるぞと聞こえる、世間に有ること難しの阿弥陀様讃嘆の有り難いでした。

なんまんだぶつとたのませて、なんまんだぶつと迎えとる、なんまんだぶつのご法義でした。





名前を告げる 

お寺や家庭で、仏様に合掌する姿は見かけるけれど「なんまんだぶつ」の声が聞こえなくなって久しい。
昔は寺で法座でそして野山や田圃で「なんまんだぶつ」を称え聞かせてくれる人がいた。
名前もなく生きる意味さえ見いだせなかった、群萌のような人々に「なんまんだぶつ」は生きる意味を教えてくれた。

記号として役に立つ情報としての言葉ばかりを追いかけてきた。
ふと気がつくと氾濫する情報に振り回され、空虚な消費してきただけの、抜け殻の死んだ言葉の山だけが残っている。


言葉が言葉としての意味を持ち、はたらいていた時代はもう還らないのだろうか。
失ってしまった言葉、忘れてしまった言葉。しかしこころの奥底に確かに存在する言葉。
わずか一句に己の全存在を託し、その一句によって生も死も超えていける言葉。
無限の時を超えて己を己として発見せしめる言葉。父母未生以前の始めなき始めより、全ての「いのち」に届いている言葉。

あらゆる「いのち」が躍動し山や川までもが包まれ生かされている言葉。


限りない「いのち」によって限りある「いのち」に告げられる言葉。


声となってはたらき、全宇宙に響きわたり呼びかけられている言葉。


ああもうそんな、生きている言葉が忘れられている。





往生 

門徒:
「ご院さん、山田のおばばが死んださけ明後日葬式せんならん。」

ご院さん:
「ほお、山田のおばばも参らしてもろたか。この間のホンコ(報恩講)さんの時は元気じゃったのにのぉ」

門徒:
「何でも急に倒れてそのまま死んだらしいんでの。もつけねぇ事や」

ご院さん:
「あのおばばには、小さい頃から色々と可愛がってもろたもんじゃがのぉ」

門徒:
「まあ、楽に苦しまんと死んだようやさけ良かったがのぉ」

ご院さん:
「あんた、さっきから死んだ死んだと言うが、あんたの親父の頃は参らしてもろたとか、往生さしてもろとか言うたがの」

門徒:
「ほんでもご院さん。死んだもんは何処へも、詣る事はできんがの。サンマイ(火葬場)もってって焼いてまうだけや」

ご院さん:
「ほんなら、あんたもそうやの。あんたの子供もあんたをゴミみたいに焼いて一巻の終わりやの」

昔は人が死ぬと「○○さんも参らしてもろたのお」と言いました。
最近では年寄でも「○○が死んでしもた、もつけねぇのお」等と言います。


小生のような田舎の在所でも、参らせて頂くとか、往生させてもらった等という言葉が死語になって久しい。


はたして死は可哀相なことであり憐れむような事なのだろうか。
一人の人間が、その人だけしか生きられない「いのち」を生き、誰も代わることの出来ない死を死んでいくのである。
もっと尊敬の思いと真摯な態度で、他者の死を見つめてあげる事が出来ないのだろうか。
生死出づべき道が、生も死も貫いている「いのち」が忘れられているからだろうか。