知られる私

他力とか自力とか物を二つに分けて理解することが、分かるということなのでしょうか。分かるということは字のごとく物を分けることから分かるといいます。ここから我と他、彼と此が出てくるわけですね。だから「我他彼此」(ガタピシ)と毎日忙しいことです。忙という字は心が亡くなると書くぐらいですから。

さて、私が私を知るということは可能な事なのだろうか。確かに私に知られる側の私は、私によって知ることができますが、知る側の私を私が知る事はできません。知る側の私を私が知ったとき、それは知られている私であって、知る私ではなくなります。

そうすると知る私であったものが、知られる私になって、これを知る私をまた知ろうとして永遠に無限ループに落ち込みます。

例えばお寺参りを始めた婆ちゃん達は「機の深信」の話を聞いてすぐに、私は罪深い者でありました、助からないという自覚の私でありましたと言います。

そのうち聴聞を重ねますと、私は助からない者でしたと見ている側の私が、実は善人の立場で私を裁いている事に気がついて、この私を罪深いと見ている私こそが、本当に罪深い悪い奴だということになります。

これではいかんという事で、本当に悪いこの私こそをハッキリ知らせてもらおうと聴聞に励みます。ある宗門(小生も門徒)では機の深信の話が中心ですから、これはいよいよ救いのない私でした、どん底の無有出離の私でしたとなります。

この頃からは最初なじみのなかった仏教用語も判ったような気になり、仏教用語を使って自分の中の私を見ようとします。宿業とか罪悪感とか罪悪生死の凡夫とかの言葉に囚われて、どちらかというと自虐的な立場が強くなります。

聴聞では相変わらず「助からない者を助けると自覚しろ」などとあおるものですから、いよいよに罪の深さを知らにゃぁいかんとなり、また世間や回りを見れば私がこんなに真剣に聴聞しているのに何たることかと、世間に対する働きかけが始まります。自信教人信の教人信の立場に立ちます。

しかし、ふと自分を考えてみるとそのような立場に立っていた私こそが、実は根本的にどうしようもない奴で、地獄行き間違いのない悪い奴だとなって、地獄行きである私を知らせてもらうためにいっそう聴聞に励みます。

聴聞では相変わらず、阿弥陀様のレントゲンに照らされて罪の深さを自覚しろ等の布教師の説教が続けられています・・・・・・・・・・・・。

かくて私を知るために、知る側の私を否定し、否定した私を否定しこれをまた否定し、四句百非を絶し去ったつもりでまた否定し、と延々と続きます。これを繰り返しますと「ええぃ、もうヤメタ」となって判らないままのお助けと自分で勝手に決めて聴聞にも行かないようになります。

小生の田舎には「大きな信心十六ぺん。チョコチョコ安心数知れず」という言葉がありますが、このような事を繰り返してきた先達が、機の深信の話や、布教師にだまされるなよという警句なのなのだと密かに思っています。

西の岸の上に人有りて喚ばひて言はく、汝一心正念にして直ちに来れ。我能く汝を護らむ。衆て水火の難に堕することを畏れざれ


と。 有名な二河喩のなかで善導大師は、私のことを【汝】として喚びかけられている側 であり、阿弥陀様を【我】として喚んでいる側であるとお示しです。


阿弥陀様が私を知る側で(主体)私は阿弥陀様によって知られる側(客体)です。 私が私を知るのではなく、阿弥陀様の方が私を知っていて下さるのでしたね。


どうしようもない教育も訂正もできない者と、私を見抜いて下さったからこその ご本願でした。
「たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひ て、乃至十念せん」
とあなたが願われたのですから、私には私を知ることもできませんし、このいのち、何処から来て何処へ往くのか、また生も死も私には解りません。

ただあなたの願いに自分の人生を託して「なんまんだ仏」といのちの意味を見つめていきます。「なんまんだ仏」と声になって下さったあなたとともに、何が起こるか判らない、また何をしでかすか判らないこの私ですがあなたに願われていることの意味を聴き拓かせていただきます。

あなたが、「もし生ぜずは、正覚を取らじ」と誓って下さってあるので、あなたの言葉どおりに、あなたの処へ、お浄土へ生まれさせて頂くいのちと思い定めて生きさせていただきます。

あなたの誓願には、度衆生心までも用意しての往生成仏の浄土真宗と宗祖から伺いました。

あなたのお名前は「南無阿弥陀仏」と伺いました。この上は「なんまんだ仏、なんまんだ仏」とせめてあなたのお名前を称えながら、煩悩のどまんなかで貪愛瞋憎と遊びながら、このいのちを生きてまいります。







才市さんの

八月の末に島根県の温泉津(ゆのつ)へ家内と聴聞に行って来ました。例年の彰順会のご縁です。

全国からの何百という御同行と阿弥陀様讃歎の二日間でした。御法話の内容はみな忘れましたが、阿弥陀様はまだ、ぽやぽやと小生の胸の中になんまんだ仏の称名となり燃えて下さっています。
島根の御法中のみなさん、彰順会のみなさん有り難いご縁でありました。有り難うございました。
温泉津は才市同行にゆかりの地で、浄土真宗の土徳のあついところだと聞いておりましたが、小さな温泉街を歩いてみてあちこちに才市同行のうたが書かれてある事に、同じ門徒として嬉しくなりました。

小生の泊まった宿には「稼業するのも、南無阿弥陀仏。ままを食べるも南無阿弥陀仏」のボンボリがかかっていました。

煩憂悩乱の日常を離れて、温泉につかって自己を見つめ直すのではありませんでした。小生が阿弥陀様を求めるのではなく、阿弥陀様が小生ををどうしたらよかろうかと御心配なさったのですね。
阿弥陀様は私の、むさぼり、いかり、おろかさの三毒煩悩の中で口に称名となり聞こえて下さる本願力回向の仏様でした。

本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき

功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし







葬儀について

今年は一月早々に叔父の葬儀に参列し、二月には富山で友人のご院家の葬儀に参列しました。 どちらも小生にとっては有り難いご縁でした。

さて、死者の剃髪式という事ですが参考までに小生の住む越前の田舎での事を書いてみます。昔は近親者が、たらいで沐浴させ頭髪をすべて剃りあげて納棺し、寺から借りてきた七条袈裟で棺桶を覆ったそうです。「鬚髪を剃除し金流に沐浴す」(大経)の故事でしょうか。

また通夜の時に赤飯を配り、皆で食べる風習がありますが、故人の往生浄土をめでたい事として祝うからなのでしょう。もっとも赤飯の色は、残された家族に配慮するせいか真っ赤ではなく幾分抑えた色ですが。

「越前の人間は非常識だ。葬式に赤飯を出すなんてと関東の人に言われたことがありますが、言ってる当人の方が非常識だと思った事があります。」
この場合、死者はたんなる亡骸ではなく、肉親として近親者として、そしていつか自分も往く浄土への同行としての扱いを受けるのでしょうね。その意味では浄土に往生した人の最初の還相の姿が、葬式でのいろんな儀式なのではと小生は思っています。(葬式でのおかみそりも含めて)

たしかに、「聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもつて本とせられ候ふ(お文)」ですから剃髪式などというものは末の事です。まして有髪の坊主がおかみそりの儀などというのは言語同断なことです。

しかし、信心をもつて本とするからこそ末(どうでもいいこと)を末として遊び楽しむのも、浄土真宗のご法儀なのではないでしょうか。

信の上からは何にもすることがないのですから「次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、ありがたく存じ候ふ。このうへは定めおかせらるる御掟、一期をかぎりまもりまうすべく候ふ。(領解文)」と決められた儀式を楽しめばいいのでしょうね。


(小生はあまりまもっていませんけれどね)





そうぼんこ

 十二月は月初めに両月のオコサマ(御講様)の宿と、月末には年に一度の(ソウボンコ)総報恩講の宿を勤めさせてもらった。
小生の住む越前でもお講を勤めている在所は少なくなってきているが、何とかその命脈を保ってきている。

ことに年末のソウボンコ(総報恩講)は二日間にわたって、十数軒の同行衆が持ち寄った米や餅米、小豆、大根等を宿の家で煮炊きをしながらの行事である。

餅をつき小豆(あずき)をゆでて、持ち寄った薪で大釜で大根を炊きあげるのは、宗祖が小豆と大根が好物だったからと古老は言う。

夜は同行衆のオツトメ(正信偈唱和)の後、大釜で炊きあげた大根、牛蒡の煮付け、雪花菜の和え物と大豆の細かく砕いた通称「打ち豆のおつけ」だけの簡素な食事である。
何故か薬味に涙が出るほど辛い唐辛子が添えられるのは、宗祖の御恩に一筋の涙を流す事さえ知らない門末の為の先人の知恵だろうか。

やがて食後の正信偈唱和のあと、御伝鈔の拝読が手次の僧侶によって行われる。この時ばかりは台所の手伝いの女衆(オンナシュ)も皆、座敷に座って頭を垂れての聴聞である。

やがて手次の僧侶を囲んでの四方山話である。酒が入るのであちらこちらで話に花が咲き賑やかなことである。
台所では女衆の手で夜食のぜんざいが大鍋で炊かれ、甘いとか甘くないとか支度で大忙しである。
頃合いを見計らって、ぜんざいが運ばれるとどんなに酒を飲んでいても必ずお相伴する決まりである。
大根を食べ、小豆を味わって、御恩報謝のソウボンコの御開山聖人の夜の伽(通夜)の一日目はこうして終わった。

世間の人は笑います。科学万能の世に西方浄土を想い南無阿弥陀仏を称えるのは馬鹿だ、阿呆だと嘲笑します。
信心が大切だと偉い人たちは今日も説法獅子吼で勇ましいことです。

田舎の因習だと若い人は嫌います。講をして何になるかと御父父(おじじ)や御母母(おばば)を罵ります。
お寺や御講へ詣っても、少しも人間が丸くならんし頑固で愚かで曲がった松の木の根のように根性が悪いと責めます。

でも、良かったですね。お寺へ詣る道さえしらない人たちがいる中で、さほど喜んででは無いけれども、今年も御開山のソウボンコのご縁に遇えて良かったですね。

やがて病床で五十六億七千万のホンコさん(報恩講)の御和讃を思い出すときがあるかもしれませんね。
私が仕上げたのではなく、如来がこれで大丈夫と気の遠くなるような時間をかけて仕上げて下さった、横超の金剛心の御信心が、弥勒菩薩と同じ功徳が、もうすでに「なんまんだ仏」と届けられているのでしたね。

愚かで良かったですね、如来様のいうことを素直に聞き「なんまんだぶつ」と口に出せるようになったのは御開山のおかげでしたね。
あとはもう、シャボン玉のように消えて往くばかり。

  今生夢のうちのちぎりをしるべとして、
   来世さとりのまえの縁をむすばんとなり。





そうぼんこ 2

すなはち弥勒におなじくて

ソウボンコ(総報恩講)の季節になると、今年八十八になる家の頑固な爺さんから聞いた話を思い出します。家族で御開山の御和讃でどれが一番好きかという話題になった時のことでした。

「あれはチュウバシ(屋号)のソウボンコの時やった。うら、ホンコさんの御和讃をあげていて、うらんたなもんが(私みたいなものが)弥勒菩薩におなじやといわれて、嬉して嬉して思わず涙が出てしもた事があった。
ほやけど同行のもんが見てるさけ、知らん顔して御和讃をあげさしてもろたが、ありゃぁ有り難かったの。なんまんだぶ、なんまんだぶ」

爾来、爺さんの葬式の夜伽の晩には「念仏往生の願により」の御和讃をあげることになっています。

年寄りは何年何月という言い方をあまりしません。何々の時という言い方で自分の身に起こった事を表現します。
御開山様が法然聖人に遇(あ)いなさった時とか、越後に流されなさった時、稲田でご苦労なさった時というような表現をします。

このような表し方は、自分の気持ちと親鸞聖人とが一つになってしまっているからでしょうか。歴史的な時間軸の中で自分を捉えるのではなく、自己の心象風景に重ね合わせた時間の中で浄土真宗のご法義を味わっているのでしょうね。

当時七十七で、小生から見ても涙とはもっとも無縁だ思っていた頑固な爺さんの頬を濡らした涙とは一体何なのでしょう。

私が御和讃を読むのではない。御和讃が私のことを読んで下さる、御和讃が私のことを包んで下さる世界があることを教えてもらった事でした。

いつでも、どこでも阿弥陀様(親さま)がごいっしょでした。

   念仏往生の願により
    等正覚にいたるひと
     すなはち弥勒におなじくて
      大般涅槃をさとるべし






ホンコサン

越前では秋には浄土真宗の各寺院ではホンコサン(報恩講)が行われ御開山聖人の遺徳を偲びます 。
浄土真宗の一番大切な行事は報恩講です。門徒の家々では御内仏の報恩講が営(いと)なまれます。
一年は報恩講に始まって、報恩講で終わるのです。そんな報恩講での御法話で聞いた話です。

ある寺で報恩講が行われている時に、TVが取材に来たことがありました。
東京から来た新進気鋭の教養のありそうなレポーターが、寺の本堂のばぁちゃん達に質問をします。

「きょうはよくお詣りですね。ところで今日は何をお願いしたのですか」
いかにも百姓仕事で日焼けした田舎くさいばぁちゃんは、TVのライトを浴びて恥ずかしいのか乱杭歯をむき出して照れ笑いをしながら答えます。

「いやぁ、ウラは今日はオレイトゲに詣らしてもらいました」
レポーターは何の事やらさっぱり判らない顔をして

「オレイトゲって何ですか」と聞き返します。

「オレイトゲって言うのは、お礼を遂げさしてもらうって事ですんにゃ」

と、ばぁちゃんはそんなことも知らないのかという顔をして答えます。
レポーターは判ったような判らないような顔をして

「はあそうですか、良かったですね」と答えて次のシーンになりました。

閑話休題

オレイトゲというのは「お礼を遂げる」ということなのですね。
親鸞聖人をお迎えした報恩講で、御開山さま有り難うございましたと浄土真宗のおみのり(法)に遇(あ)えた喜びのお礼を遂げるのです。

全分他力のご法義です。こちら側では何にもする事がない阿弥陀様のご法義です。信ずることもお願いすることもいらない、もうすでに私を包み込んである、広大な阿弥陀様のお慈悲の浄土真宗でしたね。

浄土があるとかないとかの話ではありませんでしたね。ただただ阿弥陀様が浄土を用意して下さって、お前はそこへ往くのだよ。
そしてやがてまた娑婆へ還ってきて、煩悩の林の中で遊ぶがごとく衆生済度をする楽しみがあるんだよと御開山さまが仰せになりますから、今年もオレイトゲの報恩講に詣るのですね。

月に人間が行く時代だからこそ、その船に乗って、「この船は壊れないだろうか、無事に帰れるだろうか、もし死んだら家族はどうなるんだろうか」と疑い深い煩悩具足の、どうしようもない愚かな私達のご法義でした。

この道に入って良かった。御開山聖人が切り拓いて下さったこの道を、愚かな原初の人間にかえり、つたない足取りのまま歩かせて頂きます。

「たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらにおなじくして、智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし」と御開山さまの御師匠様の法然聖人も仰せになりましたね。

この道は解説する道ではありませんでした。誰に説く道でもない、私一人のために用意された本願の大道でありました。

この上は御恩報謝の楽しみ事として、せめて聴聞に励み、御開山さまのお遺し下さったお聖教を拝読させて頂きながら、おぼつかない足取りではありますがこの道を歩いてまいります。

お浄土まいりの用意は向こう側が仕上げて下さって、「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」の呼び声を自分で称えながらの、御恩報謝の楽しみ事の報恩講ではありました。

 往相回向の大慈より
  還相回向の大悲をう
 如来の回向なかりせば
  浄土の菩提はいかがせん





どこぞへ(彩雲院釈正遠)

 加賀の藤原正遠師がどこぞへいってしまわれた。たくさんの法語を残してどこぞへいってしまわれた。一年の大半を北海道から九州へと、旅から旅へのご法義讃歎のご生涯でありました。

九十歳を越えても請われれば、何処へでも出かけて何時でもなんまんだぶつ、なんまんだぶつと讃歎の、阿弥陀様の呼び声一つのご法話でありました。

いずれにも 行くべき道の
  絶えたれば 口割りたもう 南無阿弥陀仏

藤原 正遠



すぐに職業を変えて、喧嘩ばかりしている小生を心配した母親に、米と大根と野菜を持たされ加賀の浄秀寺にあなたを訪ねたのは二十余年前でした。
本堂のウラの小さな部屋で「あんた、なんまんだぶつが出ますか」が最初の出遇(あ)いでした。
変な事をいう坊主だと「はあ、なんまんだぶつは出ます」と答え、浄土真宗の家に生まれ、なんまんだぶつを言うことぐらいは知っているのに、この坊主は馬鹿かと思ったことでした。
「そりゃ良かったね」と後は母親の近況や説教の予定などの世間話でした。

なんまんだぶつと言えば願いが叶い心が安らぐ呪文だと思っていました。
以来あなたのことは忘れていました。時折母親に下さる寺報や法話集であなたが話題になっても、本で得た小賢しい議論や理屈でなんまんだぶつが何になる、頭の悪い年寄りの呪文だと母親の言うことをねじ伏せていました。
行くべき道の絶えた負け犬の遠吠えだと思っていました。

縁とは不思議なもので、平成四年に俵山の和上さんの御法話に遇(あ)いました。びっくりしました。口割る前の南無阿弥陀仏でありました。
爾来あなたの寺での、五月の仏法聴聞会と十月の報恩講が楽しみ事になりました。

生きるものは生かしめ給う
死ぬるものは死なしめ給う
我に手のなし南無阿弥陀仏

(藤原 正遠)

お念仏に摂取され、お念仏に抱き取られてあなたはどこぞへいってしまわれた。
御開山親鸞聖人はほがらかに讃歎なさいます。

弥陀の本願信ずべし
  本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて
  無上覚をばさとるなり

念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終一念の夕べ、 大般涅槃を超証す。

平成九年一月十九日、あなたはどこぞへいってしまわれた。今日はあなたの夜伽(通夜)です。



いえすおあのー

 小生が小学4年生の頃5〜6人の悪ガキ仲間との会話です。

いつも鼻を垂らしていたKが、ふと「おめら、英語で饅頭ほしいか、いらんかってどう言うか知ってるけ」と仲間に質問しました。

英語などに全く縁のなかった小生達は口々に「ほんなもん、知らんわい。おめ、ほんとに知ってるんけ」「饅頭って英語でどう言うんやろか」などと喧しい。

得意そうな顔をしたKは「うら、きんの(昨日)中学へ行く兄(あんちゃん)に教えてもろたんや」と言います。
小生達は中学へ行くと英語の授業があることや、Kの兄が中学へ通っているには知っていました。

「ほんなら、言うてみいや」と言うと、Kは自慢げな顔で「あのな、饅頭ほしいか、いらんかって言うのはな。いえすおあのって言うんにゃぞ」と仲間に教えました。

小生達は「いえすおあの」と声を出しながら、英語はなんて簡単な言葉なのだろう。饅頭ほしいか、いらないかというのを、英語では「いえすおあの」と言うものと長い間思いこんでいました。
Kの兄が弟に饅頭を差し出して「yes or no?」と聞いたのでしょうね。
いまはもう記憶の彼方の40年ほど前の思い出です。

「なんまんだぶ」はその数わずか六声の声なれど「そのまま来いよ、間違わさんぞ、待っておるぞ」と小生に聞こえて下さいます。

そのままと、至りとどいた全分他力・全分肯定。これで救われてくれる、間違いないと、阿弥陀様の金剛の御信心(ごしんじん)。待っておるぞと大般涅槃のおさとりの、お浄土を用意してのお呼び声ではありました。