念仏禁止

うらの仏法は念仏やめよ
うらが称えりゃ名聞利養
人に見せかけ、世間をだまし
己が己に、ごまかされ
うらが称える念仏やめて
うらがの心に、念仏禁止の札かけりゃ
知らずに始まる、なむあみだぶつ
念仏往生さかんなり

うらの仏法は餓鬼根性
自分が仏を引き寄せて
うらが仏を摂取して
ご恩報謝の念仏称え
こんな念仏、やめねばあかん
うらが称える念仏止まりゃ
ここへ飛び出る親がある
親から噴き出る念仏は
尊い香りのするものじゃ

うらの仏法は闇夜に鉄砲
的は分からず、無茶苦茶念仏
弥陀の本願利用して
安心決定、自分できめて
ほんとにあぶない決定心
ああなさけなや、お気の毒

うらの仏法は玉手箱
弥陀から賜る玉手箱
如来他力のなむあみだぶつ
あけずにおけばよいものを
あければ驚く玉手箱
中の品物、化けものばかり
うらがあけたら、化けものじゃ
おけずに居られん、この爺々は
うらはそのまま、ままのまま

うらの仏法は分限ちがえ
諸仏は称名、衆生は聞名
ちゃんと分限があるそうな
うらが違えて称名するで
毒気・殺気で人さま逃げる
こらっ、念仏やめんかい
うらが称えるで、なかったわ

うらの仏法は四十九願
どこで一願ふえたのか
よくよく自分に、たずねたら
成ろう、成れるの一願寝とる
これで四十八願、まるつぶれ
うらの仏法は割り切れん
割り切りたいのが、うらの自性
割り切らさんのが、なむあみだぶつ

明治二十三年に越前に生まれた前川五郎松翁のうたです。小生の母親に翁が下さった「一息が仏力さま」という自費出版の本に載っているものです。
小生は二十数年前に2〜3回お目にかかったことがありましたが改めて本を読んで浄土真宗はとんでもない人を育てるのだなぁと感嘆しています。



他力とは

家の家爺さんや婆さんはあまり信心という言葉を使いません。ご信心と言います。 仏様ではなく親様とか阿弥陀様とか言います。仏教とは言わずに仏法とか、おみのりと言います。説教ではなく、お聴聞とかご法座と言います。

最近この事に気がついたのですが、このような言い回しの中に浄土真宗は生きているんですね。
自分が求めて獲るならば、ご信心などとは言いません。求める私に先行し て与えられているから、ご信心というのでしょう。 「水道の栓をひねったから、ダムに水が用意されてそれから私に届くので はないですよ。いつでも、どこでも、誰にでも届いているのに、ただ栓を しているだけです」と聴聞させて下さった和上さまがおられました。


「阿弥陀様、何処へ行ったと尋ねたら、お前離れて行く所なし」という言 葉がありますが、「自」にとっては「他」であるものが、実は一つであったという事なのでしょうか。


爺さんは「クセの念仏でも親様がホンマもんにして下さるんにゃ。南無の 機まで成就した親様や。ゴテゴテ言うのはまかさんからや」と言います。 親様という言葉の中に、無限の受容性を感じているのでしょう。

先達は

うら(私)の仏法は割り切れん
割り切りたいのが、うらの自性
割り切らさんのが、なむあみだぶつ

と言って下さいます。割り切るという言葉には分別の意味もあるでしょう が、初めから私を包んで下さってある、なむあみだぶつの親様なのですよ という意味もあるのでしょう。

そして、仏法とかおみのり(御法)と言ういい方は、自分が教えを知る前 にすでに阿弥陀様から願われていたという事の表現なのだと思います。 二元的な表現ではなく、法が法としてあるという事なのでしょうか。 (教学とかいうものには、まったく縁がないのでうまく表現できません)

また、聴聞という言葉に、他力というか受容する側というものを感じます。 教の位、聞の位という言葉を聞いたことがありますが、浄土真宗はどこま でも聴聞の立場なのでしょう。

最近、聴聞に行ってもあまり、なんまんだぶの声が聞こえません。 念仏成仏これ真宗と聞いてきた私にはなんとなく、さみしい気がします。 (もちろん、私の実践が問題なのですから、どうでもいい事なのですが) ただ、聴聞の中身に安心の話がないのがとても残念です。浄土真宗と言いながら浄土の話が、南無阿弥陀仏の話がありません。

家の爺さんは、南無阿弥陀仏のおいわれを

南無の二文字は そのまま来いよ
阿弥陀の三文字は 必ず救う
仏の一文字は 親じゃもの

と言いますが・・・・・。




貰いもの

過日、たまたまご法話の案内があったので、家族で聴聞に出かけました。 寺院の本堂には70人ばかりの同行が参集(ほとんど婆ちゃん)しご法話に耳を 傾けて、やがてお昼になりました。

この聴聞会ではある懇意な方が、昼食用に一人分毎に袋に詰めた菓子パンを配る事 になっています。 小生は世話役の人に頼まれて、聴聞に来た同行にパンを配ることになり、改めて 婆ちゃん達の顔を見ると、みんなそれぞれ違った顔をしています。

頭の毛の白い人やら黒く染めた人、ゴリラのような顔の人から優しそうな婆ちゃん までいろんな顔の年寄りがいます。
また体を見ても百姓仕事のせいか腰やら足の曲がった人、そうでない人など一人と して同じような年寄りがいません。

しかしどんな人にも同じようにパンが配られます。あなたは見るからに意地が悪 そうだからから半分しかあげませんというような事はありません。 みなさん平等です。

何故でしょうか。阿弥陀様のお慈悲を菓子パンに譬喩るのはおかしいのですが、貰 い物だからですね。

阿弥陀様は私達一人一人の生き方や行いを救済の条件とはなさいませんでした。 私が求める前に、私に先行して「なんまんだぶ」とたのませて「なんまんだぶ」と 聞こえて下さいます。 ただ頂くばかり・・・・・。



恩徳讃

とある聴聞会でのこと。


ある婆ちゃんが「兄ちゃん、若いのにようお念仏して偉いのぉ。うららお念仏が ちぃっとも出んのに。どしたらお念仏が出るんかのぉ」と問われました。
「念仏成仏是れ真宗って言うんにゃさけ、念仏させてもらおぅさ」等と話してい ましたが何かおかしい。

この婆ちゃんは浄土真宗は他力であるから自分の努力をしてはいけない、だから お念仏にも努力をしてはいけないと思っているのでしょう。
たしかに全分他力の浄土真宗ですから信心の話は向こう側の持ち分です。 どれだけ逃げても必ずお前をとっつかまえて救うというのですから「ほほぅ、た いしたもんや」と聴いておけばいいのですね。こちら側のすることは何にもない のですから。

蓮師は「御文」の中でくどいほどに、そのうえの称名は御恩報謝であるとお示し 下さいました。
「新聞紙を丸めてゴキブリを叩き殺しても「なんまんだぶつ」ですよ、かわいそ うだから称えるんじゃないですよ、まして殺生の罪を消すための称名ではありま せんよ、ただただ こういう事をしてしまうどうしようもないお前を必ず救うと いう親様のお慈悲を報謝するための「なんまんだぶつ」です」よと、御恩報謝の お称名のいわれを聴聞させて下さった和上様がありました。

信心の話と御恩報謝の話は理屈が違うのですね。信心は向こう持ち、御恩報謝は こちら持ちでした。
私の側の御恩報謝であるからにはどこまでも努力しなければならないのでしょう。 お念仏は出るものではなくて私がするものでした。

いやはや「恩徳讃」の厳しいこと。上尽一形、報謝無尽の「なんまんだぶつ」で はありました。



如来の作願をたづぬれば


「いずれにも 行くべき道の 絶えたれば 口割りたもう 南無阿弥陀仏」とか「念仏は口で称えりゃ呪文になるぞ。心で称えりゃ神頼み。出てくださるのを拝むだけ」と教えて下さった先達があります。
どうして私の口から「なんまんだぶつ」と出る声を拝むということがありうる のでしょうか。そしてそれが、ご信心なのですよという事の関係はどうなっているのでしょう。

宗教には「私」の外部に超越的な存在を求めるものと、「私」以外に私を支配するいかなる超越者をも認めないものとがあると聞いたことがあります。「私」の外部に存在する超越者と、「相対する私」との間には常に緊張感が存在します。あくまで向き合ってこそ成立する関係なのでしょう。

ここでは、信ずる事が要請され、信じたら助かるとか、真剣な求道とかが要請されます。信は「私」の求むべき対象であり、目標であり思議すべき範疇にあるものになります。
ですから「存在」は「私」によって確立されるものとなり、証明されうるものとなります。
このような立場では、信ずるという事は、不確定なものをそうであると思い込むことになり、「私」の中に確信を生じさせる事になります。

「自力の中の自力とは、いつも御恩が喜べて、ビクとも動かぬ信心が、私の腹にあるという、凡夫の力みを申すなり」という立場はこのような、状態をいうのでしょうか。

本堂で寝転がっている讃岐の庄松同行を咎めた人に「ここは親のうちじゃ遠慮はいらん。そういうお前は継子じゃろ。」と庄松同行が、言ったとの事ですが、このような関係は、自己の外に超越者を認める立場からは成立しません。

私は「浄土真宗は廻向法なのですよ」という言葉を長い間誤解していました。私の外なる仏様が、私の求むべき目標となって、私が変わって救われるのかと思っていましたが、三年ほど前に「お前、そりゃぁ違うよ。お前が無始曠劫以来変わらんから、変わらんお前に阿弥陀様が変わって、お前を救うんだよ」との和上様のお示しでした。

私の分別が大事なのではありません。
私の真剣が大事なのではありません。
私に至り届いているお念仏が大事なのですよとのお示しでした。
「阿弥陀様が、ごいっしょ」なのであって、「阿弥陀様と、ごいっしょ」じゃないと教えて下さった御院家様がありました。まさに「阿弥陀様、何処へ行ったと尋ねたら、お前離れて行く所なし」なのですね。「親のふところ住まい」なのでありましょう。

宗祖は、仏願の生起のところからすでに廻向なのですよとのお示しであります。

如来の作願をたづぬれば
 苦悩の有情をすてずして
回向を首としたまひて
 大悲心をば成就せり

私をお慈悲の中身として包んで下さる阿弥陀様であるから、耳に聞き口に誦することのできる「名」となって私に届いて下さるのでしょう。自分で称え自分で聞くようだけれども、「なんまんだぶつ」は「そのまま来いよ、まちがわさんぞ、待っておるぞ」と呼んで下さいます。





おふみ

九州の嬉野温泉へ聴聞に出かけた時のことでした。ご法話の後、和上様が 聖人一流の御文をあげておられる時小生も同じように御文を口ずさんでおりま した。

ふと傍らを見ると、19才ぐらいの娘さんが両手をついて深々と頭を垂れて 御文を拝聴しているのが目にとまりました。 びっくりしました。小生の聴聞歴の中でこれほど丁重に御文を拝聴している姿は 見たことがありませんでしたから。
同時に聴聞とはこういう事であったか、小生は今まで聴くということを誤解して いたなと気づかせて頂きました。

聴くと聞こえてくるのが阿弥陀様のおみのりと聴いてはきましたが自己の分別で 聴いてきていたのです。小生の理解できる程度に聴いていたのです。 浄土真宗は聴聞に極まると聞いてきながら、ともすれば仏書を紐解きお聖教を読 み理解することが大切だと思っていたのです。
御文は読んで理解するものではなく、唯々 聴くためのものであると教えて頂い た事でありました。







かえるの聴聞

最近は小生の住んでいる越前の田舎でも蛙が少なくなりました。結婚当初家内が蛙の鳴き声がうるさくて眠れないと言ったほど沢山蛙がいたのですが.....。
家の爺さんは昔自分が聞いた聴聞をよく小生にしてくれるのですが以下の三願 転入のおたとえは蛙の話です。

手をついて、あたまの下がらん、かえるかな (一九願)

水にいて、雨を求める、かえるかな (二〇願)

釣瓶(つるべ)にて、汲み上げられたる、かえるかな (一八願)

小生はいわゆる三願転入派ではありませんが先達は面白いおたとえで御法義を 伝える為に苦労なされたのですね。
子どもの頃に小さな池の中にいる蛙が外に出ようとしているので、棒切れで蛙を上に乗せて池の外に出してやろうとするのですが、乗ったかと思うとピョンと飛び降りてしまいます。
何回やっても棒切れに乗ったかと思うとピョンと飛び出すので業を煮やしてバケツで蛙を汲み出したことがありました。
でも翌日になるとまたちゃんと池の中に戻って外へ出ようと跳ねていました。

三恒河沙の諸仏の 出世のみもとにありしとき

大菩提心おこせども 自力かなわで流転せり

ガンジス河の砂の数ほどの仏様が南無阿弥陀仏とお示しにも関わらず逃げてき たのがお前の歴史だよと宗祖はお示しです。
「いずれにも ゆくべき道の 絶えたれば 口割りたもう 南無阿弥陀仏」ですと 自力無効を教示された善知識がおられます。 浄土真宗は阿弥陀様の本願他力回向のご宗旨でありました。







報恩講と三人の婆ちゃん

あるお寺での報恩講の時、夜の御法座まで時間があるので七・八人の同行が 本堂で雑談をしている所へ当時八十八才の老院がおいでになり「今日は御開 山様の報恩講や御法(おみのり)の話をしてるかや」と言われました。
早速熱心な三人の婆ちゃんが老院を囲んで、ご示談ということになりました ので小生もお話を伺わさせて頂きました。

A婆「先生、私等ここで今まで話していたんですけど、おかげさまでやっと お念仏が分からせて頂きました。毎日有り難くて、有り難くてお念仏が 出止みません」

老院「ほほう、そやけどあんまりこっちが、阿弥陀様を使わんこっちゃ。 阿弥陀様が疲れるさけな」

B婆「先生そういう話ではないがです。私はこの間、御内仏でお勤めをしてい たら、御内仏の中が紫色にパーッと光りまして、ココヤと思ったんです」

老院「うん、御内仏が光る時もあるやろな、光らん時もあるやろな。こっちは そんな心配はせんこっちゃ」

C婆「いやいや先生違います。私はこの間畑仕事をしていまして、縄が少し足 らん用になったがです。その時に後ろを見よという声がしましてヒョイと 後ろを見ると丁度間に合う縄があったがです。ココヤと思いまして畑に座 りこんで涙流して喜んだがやです」

老院「そやろな、縄が有る時もあるやろし、ない時もあるやろな。みんな 阿弥陀様のお仕事や、いらん心配せんこっちゃ」

かくて三人の婆ちゃんの堂々めぐりが続いていきましたが、翌朝食事の時には あれほど喜んでいた三人の婆ちゃん達は、何かしら物憂い顔で食事をとっており ました。
婆ちゃん達は小生に信ずるという事を改めて考えさせて下さった善知 識でありました。

阿弥陀様の御本願があって、それを私が信じて救われる浄土真宗ではありませ ん。
「入れ物がない、両手でうける」という句を見たことがありますが、小生の心 には何処を探しても、信心を入れる入れ物がありません。

心に入れ物がないから「なんまんだ仏」と称えられ、受け取るだけの御信心を 仕上げて下さったのでしょうね。







富士の白雪ゃ、朝日で溶ける

富士の白雪ゃ、朝日で溶ける

凡夫疑い、晴らさにゃ溶けぬ

晴らそう晴らそうとするよりも

晴れたお慈悲を、聞きほれる

上記の句は家の爺さんに教えてもらったものですが、お念仏の先輩はあの手この手で阿弥陀様のご法義を顕彰なさってきたのですね。


先日、僧侶の方達の勉強会に参加させて頂きました。
勉強会でのテーマは蓮如上人の御文章であり、御文章(お文)は耳で聞くために述作されたものだとの、和上様のお話がありました。夜のご法話が終わって参加者で酒を飲んでいたときに、聴聞の話になりました。


たまたま布教師の方が数人おられたので、聴聞をしたことがありますかと小生が質問すると御本典を読んだり仏書を読むことはあるが、他の坊さんの法話を聴聞する事はほとんどないと答えられます。

小生は口の悪さと声の大きさと酒癖の悪いのは人に負けたことがないので「浄土真宗は聴聞に極まると聞いてるが、言ってる本人が聴聞しないのはどういう事か!!」と議論をふっかけたました。

当然、「御本典を学ぶことや、仏書を読むことも聴聞の一つです」との答えが返ってきました。

そうなんですね。最近の浄土真宗の布教師(この言葉は大嫌い)さんや、お坊さんと言われる人はこのような人が多いですね。

そのせいか浄土真宗に関心を持つ人の中にも、一回も御聴聞の経験がない人が増えています。いわゆる聴聞嫌いの仏法好きといわれる人たちです。(小生もその一人でしたが・・・・)

小生がご法座へ出かけて聴聞するのは、浄土真宗を理解するためや、疑いを晴らす為ではありません。阿弥陀様のお慈悲を聴く為に、晴れたお慈悲を伺う為の聴聞です。

耳に聴けば、聞こえてくるのは、何処までもお前を見捨てないとの「なんまんだ仏」のおみ法です。


ちょっと偉そうなことを書いてしまいました。慚謝 、慚謝 。







令諸衆生功徳成就

5月の下旬、石川県のある寺の仏法聴聞会に参加させていただきました。
全国から集まるご縁のある同行と会える楽しみな二日間の聴聞会です。九州からは二十人程の方達が参加しており、二年前山口県の聴聞でお会いした同行と、たまたま再会してお互い驚き合いました。


この寺の老院は九二歳におなりですが、いつも「いずれにも ゆくべき道の絶えたれば 口割りたもう 南無阿彌陀佛」と仰せです。

十数年前に初めてこの句を聞いたとき、これはまるで思考の停止ではないか、 何処までも自己を追求する事が大事なのではないか等と思ったものでした。

ゆくべき道の絶えた私に着目しての解釈で、口割りたもう「なんまんだ仏」が抜けていたのですね。

私の口に「なんまんだ仏」と称えられている事実に、驚くことが信心ですよと教えて下さった御講師がおられましたが、浄土真宗は「なんまんだ仏」のご法義でした。

御文の信心獲得章で「信心獲得すといふは第十八の願をこころうるなり。この願をこころうるといふは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。」の「南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり」は声になって称えられ、聞こえて下さる「令諸衆生功徳成就」の「なんまんだ仏」でした。







むこうがわ

わすれ とおしの こちらを
おぼえ とおしの むこう


おがんだ おぼえのない こちらを
おがみ ぬいてる むこう


こちらの かるい かたのには
むこうの なみだの おもいしょうこ


こぼれる ぐちは こちらのもの
かえられた ねんぶつは むこうのもの


こちらに ゆだんが あろうとも
むこうに ちりほどの ゆだんもない


なにもかも むこうが しあげて
なにもかも いただく こちら


やるせないのは むこうがわ
やせて つらいのは むこうがわ
ただ せつないのは むこうがわ


たのんで いるのは むこうがわ
つかんで いるのは むこうがわ
すてられ ないのは むこうがわ


やっと しあげて いただいた
となえる だけの おねんぶつ
あわせる だけの この りょうて


はる 三月の ひだまりの
ツクシのような こちらがわ


「そよかぜのなかの念仏」より 中川静村氏


家内の好きな句です。ある聴聞会でお会いした女の方が、自己紹介の時に「毎日ポヤポヤと生きさせてもらっている○○です」と挨拶なさいました。


他の大勢の方達は自分の信仰に入る経緯や、自己の人生を語りましたが 五十歳前後のこの女性は、決して自己を語りません。 そうでしたね。一人ひとりの人生は誰に語りうるものではありません。

生まれたときに真っ白な一枚の答案用紙を持って生まれてきたのがあなたの人生です。この答案用紙には何の問題も書いてなく、また提出期限もありません。あなたの人生が問そのものであり、自分自身の人生を通してしか答えを、出す事はできないのですよ。と聴聞させて下さった御院家様がおられます。

生きるということは、その人の人生を通してしか出すことのできない一人ひとりの問いと答えがあるということなのでしょうね。

独り生れ独り死し、独り去り独り来る人生に代理人はありません。称えるだけの、「なんまんだ仏」だけが私の語りうる相手になって下さいます。

はる 三月の ひだまりのツクシのような こちらがわ でした





遇うということ

小生の敬愛する藤原正遠師とある老婆との会話です。

「先生、私はすっかり弱って仕舞いました。医者の薬も効かなくなりました。足の裏にまで、ムクミが来ました。私の死ぬ日も近い様です。先生、死んだら、一体私はどうなるのでしょうね」

「死んだら冷たくなるでしょう。そうして火葬したら、骨と灰と残るでしょう」

「その位のことは私は知っています」と、老婆は半ば腹を立てた。

「では、あなたは一体、何を聞こうとなさるのですか」

「こんな浅間しい無力なものでも、阿弥陀さまはお浄土に連れて行って下さるでしょうか」

「私には分かりません」といったら、

「お坊さんが、それを知らないで、お坊さんの値打ちがありますか」と、老婆は、こんどは本気で腹を立てて来た。

「どんな浅間しい無力なものでも、お念仏をしたら、死んだらお浄土に連れて行って下さると、よしんば私が申し上げても、あなた自身が疑ってるのだから、又外のお坊さんにも同じことを聞かれることでしょう。


今迄に、何百回となくお坊さんにその話を聞き、何千回となく心にその言葉を繰り返しても、あなた自身が疑っているのだから、自分にしかと受け取れないのではありませんか。

今夜のことも分からぬ自分ということをあなたは知っていられます。明日どんなことが起こるかも、全く無知であるという自分を知っていられます。それだから、死後に阿弥陀仏は、私をお浄土に連れて行って下さるというても、あなた自身が信ずる訳にゆかぬのです。


疑うな、信じよ、念仏せよと自分にいい聞かせても、疑っている自分が、根本にいるのだから駄目なのです。念仏で蓋をしても駄目なのです。」


「いや、藤原先生が、お浄土に死んだら行くと断言して下されば、私はそれを信じます」

「人間が信じたのは、皆壊れます。人間の信というものは、思いなのです。自分の条件に叶えば信ずるし、叶わぬとその信は壊れます。若い男女が、条件が合っていると、『一生あなたを信じます』といい、条件が合わぬと、昨日の信は、今日の怨みと変わるのです。万事のことが然りです。」

「そうすれば、私はどうすればよいのですか」

「聖人のお言葉に、自力を棄てて、他力に帰すとありますが、あなたのお言葉を伺いますと、自力が残っているように思いますが」

「こんな明日も分からぬ命を抱えている私です。全く自力はありませぬ。自力は零といわれることが身に泌みています。」

「薬も効かず、足の裏までムクンでいられて、又自力はないといわれることは分かります。しかしお言葉の中に私は尚も自力が残っていられると見えます」

「では、その自力を教えて下さい」

「では申し上げましょう。お浄土に参らせて貰いたいという自力が残っています」

「これは『願生心』で、これを取ったら大変ではありませんか」

「参らせて貰うというのは、罪福心です。未だ『おまかせ』でなくて、『参らせて貰おう』という自力が残っているのです。『願生心』というのは、如来から廻向されるものです。『参らせて貰おう』という自力が棄たれば、あなたは、摂取の身であったことを知らせて貰います。

それが如来廻向の願生心の成就です。参らせて貰おうという餓鬼の念仏が、化土の浄土を願っていることになります。

餓鬼の念仏が棄たれば、機法一体、真実報土の往生を即刻させて頂くのです。長い長い間、私を茲にあらしめて下さっていた真のみ親を踏みつけていたのですね。茲に、自利利他円満、私もあなたも、万物すべて、南無阿弥陀仏のみ親の所産なることが信知させていただけますね。

臨終待つことなく、来迎たのむことなし。今茲に平生業成、み親に遇えるのですね。」

   「続一枚の木の葉のごとく」より

自力とか他力とか論じること自体が空しくなるような話ですね。

 

いずれにも ゆくべき道の 絶えたれば口割りたもう 南無阿彌陀佛