光照寺住職 若林 眞人 師
お葬式を無宗教という形でされる、そんなニュースを耳にすることがあります。実は無宗教と言いながら、お葬式をすること事態、すでに宗教性があるはずなんですが。
平成8年の夏でしたか、女優の沢村貞子さんがお亡くなりになり、その時の新聞記事に「遺言によりお葬式はせず、無宗教でお別れの会を催された」というようなことが書いてありました。この記事を書いた記者の方は、沢村さんにとって無宗教がふさわしいと判断されたんでしょうね。
記事を読みながら、もし沢村さんが無宗教で人生を終わってゆかれたとすれば、それはどれほど孤独な最後だったろうか、ふとそんな思いをいたしました。
無宗教というのは、自分自身を頼みにすることです。私には他の拠り所はいりません、自分は自分なりに人生を切り開いてきたし、これからも自分の人生は自分自身で解決をします、ということ。それも自身の経験から身勝手な価値判断と宗教観を立てて、それを頼みにする、いわば自分宗です。
ところが、私たちの生まれ出たこの世界は娑婆なのです。娑婆とは、ままならない世界なのです。自分自身がこの身一つをどうすることもできないという、そういう問題に必ずぶち当たって行かねばなりません。それが不安であり苦悩なんです。
一番顕著な例をいえば、死んでゆかねばならないということです。衰えてゆく我が身を、この自分自身がどうすることもできない、またそのどうすることもできない私自身を見つめなきゃならない自分がいる。この孤独。
沢村貞子さんはこの絶対孤独の人生を無宗教の中に終わってゆかれたのでしょうか。だとすれば、たとえ見守ってくれる人があったとしても、命の絶対孤独を共にできる人はいないのです。独生独死です。
今、あなたはお念仏に遇えてよかったですね。阿弥陀様が「ナモアミダブツ」と言葉のお姿となって、この身に入り満ちてくださいました。「独りじゃないよ、あなたといつでも一緒だよ」。絶対孤独の今この私を目当てとし、この命を共にしてくださる仏さま、それがナモアミダブツの仏さまなのです。
遺言状を残して自分のお葬式まで決めておこうという方がおられますね。それがあれば残ったものがしやすいという面があるかもしれませんが。
ある時、テレビ番組で変わった会社を紹介していました。それは東京の方で、遺言をその通りに代行する会社なのです。内容については、自分自身のお葬式についての依頼が目につきました。
自分の死後、近親が自分の思い通りに実行してくれないという事情があるのでしょうか、それを会社に契約しておくのです。知らせを受けた会社は社員を派遣して代行する。と言ってもせいぜいお骨の始末までの契約だったと思います。自分の未来はその程度までということなのでしょう。
申込書がテレビに映ると、「葬式するな」「僧侶をよぶな」などの言葉が次々に目に付きました。これは関西では考えられないことですが、関東ではそれが現実のものとなりつつあるんでしょうか。お寺とのつながりがよほど薄いんでしょうね。
それはともかく、遺言によって「誰それにだけ知らせよ」「骨はこうしろ」とか死後のことまで指図するとは、ちと厚かましいんじゃないですか。
あるご家庭でのこと。お参りにこられた親戚のばあちゃんがおっしゃいました。
「私が死んだらな、骨はな、六甲山に撒いてくれたらええ」こう言うと娘がね、
「そんなことをしたら、山の木が枯れる」と言うんです。
「それやったら瀬戸内海に撒いておくれ」って言うと
「そんなことしたら海の魚が毒気に当てられて死んでしまう」そんなことを言うんですよ。
と笑ってなさいました。娘さんはきっと、命終わってからのことまで母さんが心配して決めなくていいのよ。私らがちゃんとするからとおっしゃっているんでしょうね。
もし言い残すなら「おまえたちのしやすいようにお葬式をしてくれたらいいよ」と、このほうがご家族に対してはるかに優しいと思うのですが。
長生きがいいことだという考え方には、早く命終わることがつまらないことだという見方があるはずです。人はそれぞれの縁の中に終わってゆかねばなりません。命の長さに価値があるわけではないでしょう。
仕事柄、亡くなったお方のおそばに行くことが多いです。そうすると自然と駆けつけてこられた人のお悔やみの言葉が耳に入ってきます。
たとえば、ずいぶんお年を召して亡くなったりすると、訪ねて来られた人もちとにこやかな顔をされたりして、
「あら、奥さん、お義父さん悪かったんやね」
「そう、もうちょっと長生きしてくれはるかと思ってたんやけど」
「そうやね、でも寿命やないの。これだけお世話なさったんやもん、本人も<満足したはるよ。あっ、そう、それはそうと奥さん、今度の旅行は行けるでしょ」
こんな話になって、それがもう少しお若いとそうはいかないですね。
「お義父さん急やったんやね。お元気やったのに」
「そう、孫のこと楽しみにしてたんよ」
「ほんとに惜しいわ、まだ若いやないの」
そんな声が聞こえてくるんです。もっと若くて働き盛りの年齢ですと涙を誘いますね。
「奥さん、なんでこんなことになったのよ。ご主人とこないだバス停でお会いしたんよ。なんで、どうして」
驚きが伝わってきます。それがもっとお若くなると、もう言葉もありません。高校一年生になったばかりの、立派な体格の男の子が突然、クラブ活動のあと倒れて亡くなってゆかれたことがありました。その時、お母さんの友人はハンカチで目頭を押さえたまま手と手を握りあうしかなかったですね。
そうしたお姿に会いますと、どうも命終わってゆくのは若い時の方が値打ちがあるようにも思えるのですが。
ある時、三歳ほどで亡くなったお子さんの五〇回忌というご法事がありました。兄弟衆はもう五〇歳以上ですし、お母さんも八〇歳あまりになっておられる。ご法事が終わりますと、そのばあちゃん、お母さんですが、お仏壇を指さして、
「死んだあの子はね、小さい時から物わかりのいい賢い子でした」
と、しみじみおっしゃいました。そうすると残ったお子さんたちは‥‥‥。
まあその点、我々はちと長生きしすぎましたね。今さら急いでもしょうがない。この娑婆にしがみついてでもとどまってみようじゃありませんか。
たとえ命終わってゆくことがつまらんと考えたって、どれほど長生きをしたって、必ず最後はやってきます。終わっていいんです。力無く終わってゆける世界を知らせていただきましたよ。それがお浄土です。力無く終わる時、まさにこの私が間違いのない世界に参らしていただく。
今それに決定した日々を生きております。安心ですね。ならばこの上は、この日々をひとつ大切にしようじゃありませんか。阿弥陀さまに願われた日々。急ぐことはありません。力無く終わったら、その時がお浄土なんですから。
お亡くなりになると、大急ぎでお寺さんを呼ばねばならん、できるだけあったかいうちに、近頃そういう考えをされるお方はずいぶん少なくなったように思います。
よく、「お寺さんは大変でしょう、いつ電話がかかってくるかわかりませんもの」などとおっしゃるけれど、真夜中に知らせがあることなど久しく無いですね。みなさんご配慮くださるんでしょうか。
私らより大変なのはお医者さんでしょうね。ご門徒のばあちゃんがお亡くなりになった時のこと。ずっと往診に通っておられたお医者さんが通夜の席までお参りでした。控え室で着替えながらお話をさせていただきました。
「急な葬式があると、お寺さんは大変ですなあ」
「いやぁ、先生の方こそ大変でしょうが、真っ先に連絡をされるのは先生でしょう。
死亡診断書を書いてもらわないかんですからね」
「まぁねえ、それは仕事ですから」
「診断書というのは、困られることもあるんでしょうね」
「そりゃありますよ。ふだん診察しておる病状と違うこともありますから<ね」
しばしそういう話題になりました。
「先生、そういう時にはお寺で書いときましょうか」
ふと冗談みたいに申したことがありました。
お寺で死亡診断書を書くようになったら簡単ですね。
「このお方はなぜ亡くなったのですか?」
「はいわかりました!」どう書くかといいますと、ひと言「生まれてきたから」と書けばいいのです。それ以外に原因はないのです。
よく死亡原因などといいますが、あれはみな縁ですね。ある年齢になると、新聞を一番後ろのページから開くようになると聞いたことがあります。後ろから開いて何を見るかというと、下段あたりに亡くなったお方の記事があるじゃないですか。
何気なく眺めつつ、自分よりうんと年を召した方ですと「ああ長生きをなさったなぁ」とさらりと読み過ごし、自分より若い人だと「まあ若いのに」。そうして自分と年齢が近い人だともう一度読み返しますね。何を見るかというと、どこが悪かったか、どういう病気だったか。つまり死亡原因です。
そういう気持ちはご互いありますね。だけどそれは「死亡原因」ではなく「死の縁」と言うべきでしょう。たとえ心臓の病でも一人一人皆違うのです。病気がその人を死なせたんじゃない、それが縁となっただけなんです。「因」はたった一つ「生まれてきたから」、「縁」は一人一人の上に無量の形であるわけです。
われわれの生まれ出たところは生死の世界。『お正信偈』の最後のほうに「還来生死輪転家」とある、生まれた限り死んでゆかねばならない世界です。その生死の世界に生きるしかないこの私を目当てとしてくださったのが阿弥陀さまです。
生き死にのまっただ中にあるこの私を生き場として「あなたを捨てない如来は今ここにいるんだよ」と宿ってくださいました。それが南無阿弥陀仏。今この身が南無阿弥陀仏の値うち入り満ちたる人生なのです。
命終わって、どこかに旅をするように思っておられる人がおられますね。いわゆる旅装束ですか。
実は、お浄土という世界を知らせてもらったわれわれにとっては、命終わってから旅をするのじゃないのです。
旅はただ今、今が道中。命終その時が旅の終わりなのです。
お寺のすぐ近くのじいちゃんが亡くなった時のこと。家の建て方がドアで仕切った形でしたのでお葬式がしにくい。そこでお寺でお葬式をされることになりました。納棺もお寺でということになったのです。
実を申しますと、納棺勤行という作法があるのですが、そのご縁にあうことはめったにありません。
お約束の時間、私は本堂の荘厳を整えてお待ちしました。じいちゃんのご遺体が到着しまして、
「さっ、それじゃ納棺のお勤めをいたしますから、ご家族のみなさん、どうぞご一緒にお参りください」と納棺勤行を始めました。
「往覲偈」というお勤めで少し長いんです。「東方諸仏国 其数如恒沙 ‥‥」。
するとそこにおられた葬儀社の方が「えーただ今から旅装束をいたしますので、ご親族のお方はこちらに来てください」とおっしゃる。
しまったなあと思いましたね。はじめに申しておくべきだったと思いましたが、もうお勤めは始まってしまった。どんなことをなさるのだろうかと、ちょっと目を横にすると。
手っ甲とか脚絆ですね、じいちゃんもう硬くなってなさるもんで、結びにくそうにされている。首にはポシェットを下げて、いや頭陀袋ですか、それに草鞋とか、まさに旅装束をなさるのです。
で、お勤めが終わって振り向きますと、もう手際よく納棺がすんでおりました。だけど申しておかねばと思いましたね。
「命終わって旅をなさるんじゃありませんよ。もう旅は終わられたんです。この娑婆の縁が尽きたとき、それが旅の終わりです。旅が終わったということは、お浄土の仏さまとなられたのです。お姿はありますよ、亡骸はありますけれど、迷いの世界に旅立って行かれるんじゃありません。もうお浄土の仏さまなのです。」
納棺をされる時には、お寺参りをなさるようなお姿がいいですね。式章があれば首にかけて、お念珠を手にされて、それが自然ですよ。魔除けみたいなものは一切無用です。もうお浄土の仏さまなのですから。
迷いの世界はこの人生が最後です。よかったですね。堂々と娑婆の縁、力なく終わってゆこうじゃありませんか。
お葬式がご縁となって、はじめてお参りをさせていただく、そういうご家庭があります。ある時、九〇歳近いご主人がお亡くなりになったということで、浄土真宗のお寺を尋ねられたのです。そうして私のところにお葬式の依頼がありました。
私はお葬式には出られず、初七日にはじめてお参りさせていただきました。ご家族の関係については、父から聞いてはおりましたが、お会いするまでは、想像もできません。
さて、初七日のお勤めの後、ご家族との間で中陰の間の心構えなどが話題となりました。俗にロウソクが消えたら、線香が消えたら道に迷うなどと言う人があります。ふとそのことで、「命終わって旅をなさるんじゃありませんよ。旅は終わられたんです。今はもうお浄土の仏さまです。」
すると、壁に背中をもたれるようにして静かに耳を傾けておられたおばあさんが、色の着いた眼鏡をかけ、その目を閉じたままおっしゃいました。
「ああ、そうですか。命終わって旅はしなくてよかったんですね。私は三十なかばの頃から目が見えんようになって五十年になります。このたび夫を亡くしまして、みなさんのお力で無事にお葬式を勤めさせてもらいましたが、私も間もなく命終わっていかにゃなりません。もし、独りで旅をせにゃならんのやったらどうしようかと案じておりました。ああ、旅はしなくてよかったんですねぇ。なんまんだぶ、なんまんだぶ‥‥‥」
そうでしたか、三十代なかばで目が見えなくなった奥さんを、ご主人は目となり手となり足となって支えて来なさった。妻としてその夫を見送ったという安堵感の中に、今度は自身の死を見つめなさいます。支えてくれた夫はもういない。独り旅をするなら目の見えぬ私はどうしようか。
「おばあさん、今がね、阿弥陀さまの摂取不捨の道中ですよ。摂取心光常照護。もうあなたを捨てないよ。摂め取って捨てないというおはたらきのまっただ中に今日一日があるのです。よかったですね。今が道中、息の切れたその時は、もう旅の終わり、お浄土の仏さまなんですね。」
煩悩に まなこさえられて
摂取の光明 みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわが身を てらすなり
【親鸞聖人『高僧和讃』】
命終わって迷いの世界に旅だつとは、なんと悲しいこと。そんなことは一切心配いらぬこと。まさに今が道中じゃありませんか。
ご近所のお方がお亡くなりになったりすると、お悔やみに行かねばなりませんね。その時、どんな言葉をかけたらいいのか、なかなか経験を重ねても難しいことです。
駆けつけて来られたお方が、話につまると「お別れをさせていただいてもいいですか」などとおっしゃって、「どうぞ、どうぞ」となる。
そうしてご遺体に神妙に近づかれて、そっと白布を上げなさる。
と、ここで、みょうにほめるお方がおられますね。
「まぁ、きれいなお顔で、楽にお亡くなりになったんですね。いいとこ往かれましたよ」と、お顔をほめるつもりだった。
ところが、ご病気によってはそうでないこともある。なにかほめなきゃいけませんから、
「まぁ、あったかいお体ですこと、きっといい所に往かれましたよ」と言おうとしたら、お体はドライアイスで冷たい。
「いやぁ、いつまでも柔らかいお体で、きっといいとこ往かれ‥‥‥」と、さわってみたら死後硬直。
あわてて、
「やさしいお方でしたから、きっといいとこ‥‥‥」
そういう死に姿で良いか悪いかなどと評価をしないほうがいいですね。
姉妹で母親の看病にかかり切り、そうしてお別れをなさったある女性の体験談です。
そのお母さんは病状が重く、苦しみの中に亡くなっていかれたそうです。お母さんの苦しみをどうすることもできなかった姉妹もまた苦しかったことでしょう。
それから、しばらくして、妹さんの嫁ぎ先のお義母さんもお亡くなりになった。姉さんは弔問のお客さんのお接待に行かれます。するとご近所のお方々の言葉が耳に入ってきます。
「楽にお亡くなりになったんでしょ。そらぁいいとこに往かれましたよ」
そのことを振り返って姉さんがおっしゃいました。
「その時ね、妹はつらそうな顔をするのよ。だってね、母はうんと苦しんで死んだでしょ。それだったらいいとこ行ってないみたいじゃない」
「私もね、簡単にそんなこと言ってたけど聞く立場によって辛く感じるのよ」
まさにそうですよね。死に姿をどうこう言うよりも、なくなったお方のお手柄を偲び、お礼を申し、そうしてお別れなさったご家族の思いを聞かせていただく。それが「弔問」ですよ。「弔」は「とむらう・たずねる」の意味。「問」は「とう」こと。
「たくさんの思い出をいただきましたね、お世話になりましたね、ご生涯を共にできましたこと有り難うございました」と、お礼を申す。弔問とはそういうひと時でありたいなと思うのです。
お仏壇にお参りをされる時、あるいはお寺にお参りなさった時に、「カーン・カーン」と「おリン」を叩く人がおられますね。自分が来たことを知らせるつもりでしょうかね。
先日あるご家庭のおばあさんがお亡くなりになった時のこと。
若奥さんはお仏壇のお荘厳をととのえて、私の到着を待っていてくださいました。
その間、ご近所のおばさんが来られて、ご遺体の枕元に坐られると、「おリンが出てないよ」と言われる。若奥さんはおリンはお仏壇に置いておくものとご存じでしたが、そうおっしゃるならと、おばさんの手もとに移されました。
すると、「チーン・チーン」と叩いて合掌されたそうです。
「私が来ましたよ」、眠ってなさるといけないから目を覚まそうとされるんですかね。まるでチャイムみたいなもんですな。
いや、叩いてもいいんですよ、だけど「おリン」を叩いたお方には責任があるんです。「只今からお経を勤めます」という合図ですから、叩いた以上は最後までお勤めをしなければなりません。
北九州のあるご住職のお話。
ある家ではご法事に参って来られた人がみなおリンを叩く、そういう習慣になってしまっている。お経が始まっているのに遅れて来た人まで「チーン・チーン」とやる。
これは困るからおリンの棒をそっと裾に隠した。
「するとね、次に来た人は私の前まで手をのばして股のとこまで探すんですよ」
ご自身がお勤めをなさらない時には、どうかおリンを叩かないでください。それよりもただお念仏をなさって、合掌をなさるのがいいですね。
口に常に仏を称すれば、仏すなわちこれを聞きたまふ。
身に常に仏を礼敬すれば、仏すなわちこれを見たまふ。
心に常に仏を念ずれば、仏すなわちこれを知りたまふ。‥‥‥
【善導大師『観経疏・散善義』】
いろいろな行事に出席するとき、何を着ていくのがいいのか、それに迷うことがありますね。たとえば、お通夜の時、どんな服装をされますか。
近頃、お葬式を家ではされずに、会館とか葬儀式場などを利用されることが多くなりました。その影響でしょうか、お通夜に喪服を着用される人が目に付くようになりましたね。つい最近まで、みな普段着ではなかったですか。そのほうがいいんです。
なぜかと申しますと、「通夜」とは「夜を通す」と書きますね。夜を通して何をするのでしょうか。実は、最後のお看取り、看病をさせていただくのです。
関西地方ではお通夜のことを「夜伽」と申します。「伽」とは、「お伽話」の「とぎ」でして、子供に寝物語をしてその相手をすること、つまり語り相手をし、看病をすることなんです。
もうお亡くなりになったに違いないけれど、まだ生きてなさるお姿を装うのです。最後の別れに会えなかった親しき方々が、大急ぎで駆けつけて、ひと夜最後の看病、最後のお看取りをさせてもらうというひと時なんです。だから普段着がいいですね。
昔でしたら、鳥の羽をお湯のみにそっと浸して、おひとりお一人がその荒れた口許を湿しなさったんだと思うんです。まさに息絶えなんとする、そのおそばに侍って、お世話になりましたねぇ、有り難うございましたねぇ、この上はあなたのお手柄を大切にさせていただきます、と、最後の看病、お看取りをさせてもらう、そういう姿なんですね。
じゃあなぜ、お通夜にお勤めをするのかと言いますと、あれはそのご当人のお夕事(毎日夕方のお勤め)なんです。ご本人はお勤めしずらいので、皆が代わりにご一緒させてもろうてるわけでして、死んだ人にお経をあげるんじゃないんです。
このごろ忙しくてお葬式には参れないから代わりにお通夜に行っておく。こういう風潮がありますね。葬儀社によっては、まるでお葬式と同じ感覚で、皆にお焼香をさせたり、ご家族をお礼に立たせたりするところがあります。これは間違いです。
最後のお看取りに駆けつけて来られたお方々が夜を通しての夜伽、まだ生きてなさる姿を装い、語り相手をさせていただく、喪服より普段着がいいですね。香典をことづけるのはちょっと失礼にあたりますよね。お通夜と葬儀式とではお別れの意味が違うのですから。
人がお亡くなりになると、さっそく迷いの心配をなさるお方がおられますね。たとえば、こんなことがありました。
お通夜の席では先ず参詣の人々にお勤めの次第と時間配分をお伝えする事にしています。そうしてお勤めが終わりますと、振り返って「ご多用の中ようこそお参りになられました。今から十分余りの時間を頂戴し、お通夜に寄せてのご法話をさせていただきます」と申してご法話を始めます。
さてある時のこと、振り返れば、膝を突き合わせるぐらいにびっしりと参詣のお方々が坐っておられました。話し始めて数分たつと、左隅のほうで何かひそひそと話し声がする。「あんた、何とかよ、はよはよ! 早よせな」何か急いでおられる。
すると一人の女性が近寄って来られて「ご院主さん、すいません、もうちょっと前へ」前に出ようと思ってもいっぱいなんです。話の最中ですから、理由を尋ねることができません。「もうちょっと前へ」とまたおっしゃる。ほんのわずか席を進めましたら、にわかに私の背中のほうでごそごそと。何事か? と振り向いたら、お線香に火をつけておられるんです。
ああそうか、先ほどのひそひそ話は「あんた、お線香が消えそうよ、消えたら迷うやないの、早よ行かんと」「今しゃべったはるやないの」「ええやんか、早よはよ!早よせな消えるよ」。どうやら、こんなやりとりがあったんでしょう。
お線香が消えて迷うもんですか。どこからこんな話がでてきたんでしょうかねぇ。ロウソクが消えたら迷うなどと、きっと亡くなったお方を迷いの姿としか思えない人が言い始めたんでしょうね。
もうそんな心配をいっさい持ち込む必要が無いのです。お浄土という世界を知らされた上は迷いの世界は無用です。亡きお方を迷いの身扱いするとは悲しいじゃありませんか。
中陰の間に用いるようにと、渦巻き線香ができましたね。あれは単に長持ちするだけの工夫です。むしろあまり長い時間あの煙を吸い続けると喉に良くないですね。火をつけっぱなしにする必要はないのです。お参りなさるその都度、香りのいいお線香をお供えなさるといいですよ。その香りに包まれてお礼を申す。このこと一つです。もう心配はいりませんね。
誰かがお亡くなりになると、その家の入り口に貼り紙をすることがありますね。地方地方で様々な風習があるでしょうが、関西ですと菱形の紙に「忌」という字が書いてある。これを貼るのは当然のように思っておられるでしょうが、どういう意味なのかお考えになったことがありますか。
どうもおおかたの人にとってあの字にはいいイメージが無いようです。辞書を見ると始めに「忌み嫌う・はばかる」などと書いてある。この意味で貼り紙に用いているとすれば、そこには死者を穢れた存在とする見方があるはずです。「この家には死者が出ましたよ、穢れております、どうぞご用心ください」と、近隣に知らせることになります。もし、そういう意味なら悲しいことです。貼らないほうがいいです。
あるお寺の総代さんがお亡くなりになった時のこと。ご親戚に浄土真宗のお寺があり、その若院さんが「これははずしましょう」と「忌」の貼り紙をはずされ、半紙に「還浄」と書かれたそうです。
「還」とは「かえる・もといたところにかえる」という意味で、「浄」とはお浄土のことです。浄土に還る。「この娑婆にお出ましになって、お念仏のご縁をむすんでくださった。そうして今、娑婆の縁尽きてお浄土にお還えりになったのです」と、尊んでそう書かれたのです。なるほど、その人格をお敬いなさる意味づけをなさったのだなあと思いました。
年回のご法事をお勤めされるとき何回忌という言葉を用いますね。ここにも「忌」という字があります。この時には、決して「忌み嫌う・はばかる」の意味はありません。実は「忌」には別の重要な意味があるのです。「つつしむ・うやまう」これが大切なのです。
身近なお方との別れに思いを致し、あらためて「わが身をつつしみ」亡きお方のご生涯を「おうやまい」する。その覚悟を表した文字なのです。
お葬式から始まって、中陰も年回のご法事も、すべてこの「つつしみ・うやまう」の心構えがが中心となるのです。あなたと共にこの人生を過ごすことができましたこと、有り難うございましたねぇと、あらためてわが身をつつしみ、ご生涯をおうやまいさせていただく。忌み嫌うことなどあり得ないのです。
ひとつこれからは「忌」の字のイメージを変えて行こうじゃありませんか。
お葬式には電報が付き物だと思っておられる人がありますね。考えてみれば電報が緊急の連絡手段であった時代は過ぎ、今では携帯電話にファクス、それにインターネットですからね。現在では結婚式や入学式など、儀式の添え物の感があります。
お葬式で電報を読み上げるというのはいつ頃から始まったのでしょうか。遠く離れたお方からの親しみあふれるメッセージと言うより、すっかり政治や企業宣伝の道具になってしまったようです。
実は、私の町内のお寺さん方はみな、電文を式の間に読み上げることは控えてもらおうということになりました。
それからしばらくして、あるお葬式でのこと。お通夜の席で、はじめてお目にかかった葬儀社のお方がこんな話をされました。
「あの、明日のお葬式の打ち合わせを今夜のうちにさせていただいてもいいですか」とおっしゃる。「いいですよ」ということになって、「式次第はどのように」と丁重なおたずねです。
「それじゃお作法通りにお勤めをさせていただきたく思いますので、最初に『帰三宝偈』を勤めます。そして『三奉請』のあと導師焼香をし、着座してすぐに『お正信偈』を始めますのでこの間で電報は読まないでください」と申しますと、
葬儀社の方が「有り難うございます」と、おっしゃるのです。
「えっ? 何が有り難いのですか」
「はい、私はちょっと変わった葬儀屋でございまして、今までたくさんのお<葬式のお世話をし、たくさんの電報を読ませて頂きましたが、今までに目にした電文には、亡くなったご当人宛のものは一通もございませんでした。
喪主さんなり、ご家族なり、ご当家のお方に宛てられたものばかりでございまして、それはそのご当人がお読みなさるべきものではないか。
それを暑いにつけ寒いにつけ、ご会葬にかけつけてくださったお方々をお待たせし、わざわざ時間を割いてまで読み上げるものじゃないと考えております。
そのことを喪主さんには必ず申し上げるんですが、三分の一くらいのお方はその意味をくみ取ってくださいます。もちろん仕事ですから、読めと言われれば読ませていただきますが、今そのことをおっしゃってくださったから、有り難いなと思ったんです」
思いを共にできる葬儀社のお方がおられるのは心丈夫なことです。お葬式は最後のお別れの儀式です。決して宣伝の場では無いはずです。つとめて厳かでありたいですね。
この頃、焼香順を読み上げないお葬式が時々あります。お世話をされる方にとって、焼香の順番をどうするかということは結構なんぎなことでしょうね。それが元でトラブルがあったり、苦情を聞かれたりする、そういうことにこだわる人がおられるのでしょう。
ある時、お葬式の最中に「なんでワシを呼ばんのじゃ」とつかみ合いをなさるほどのことがありました。
きっと昔はその順位に重要な意味があったのでしょう。昔は法律に相続権というものがあって、誰が家督相続をするか。相続をしたものはすべての財産を相続する権利があると同時に、一家のつきあいを果たすという責任がありました。焼香順とは、きっとその家督相続権の順位だったと思います。だから誰が先かが問題になったのでしょう。
今はそういう法律はありません。誰が先であろうと、席の近い人からお焼香をされるといいんじゃないですか。読み上げのないお葬式は厳粛でいいです。むしろ親族の方の深いつながりが伝わってくるようです。
代表焼香というのも無くていいですね。会社や組織の宣伝の場のようになるとしたら、なにか違うのではないかという思いがします。
お葬式にも『お正信偈』をお勤めします。「帰命無量寿如来 南無不可思議光 ……」ただし、日常にお勤めする時と節が異なります。ほとんど棒読みなのですが、九句目の一句「五劫思惟之摂受」だけは声が高くなり、導師一人が声を出します。そうして次の「重誓名声聞十方」の所からお焼香をする作法になっているのです。
多くのお葬式ではマイクの声が長々と焼香順を読み上げて、お勤めはそっちのけです。それよりも、ご会葬のお方々が共に『お正信偈』を唱和される、その中にしずしずとお焼香が続けられてゆく。そんなお葬式にならないものでしょうか。
「五劫思惟之摂受」とは、阿弥陀さまの五劫という長いご思案がまとまったという意味です。長いご思案とは、あらゆる衆生を皆救わずにはおかないというご思案です。
お葬式はお別れです。亡きお方に向かって、「あなたは今、阿弥陀さまの五劫という長いご思案に救い取られてお浄土に参って往かれたのですね。私もまた同じ阿弥陀さまのご思案に救い取られてやがてお浄土に参らせていただきます。見送られてゆくあなたも、見送らせていただくこの私も、同じお浄土に参らせていただく。また会える世界をいただきましたね。たくさんの思い出をいただきましたね」と語ってみたいですね。
その思いを姿にあらわしたのがお焼香です。ご会葬のお一人お一人が、亡きお方に向かっての主役です。順位は関係ないのですよ。
お葬式に清め塩が付き物だと思っている人は、まだずいぶん多いんじゃないですか。日本人の意識の中に死を穢れと考える思想がいまだに宿っているんですね。悲しいことです。
恐らく、昔の人は死者を恐れの対象とし、生きている人間世界から遠ざけようとした。それを正当化するために、死者は穢れた存在だという理由付けが生み出されたのではないでしょうか。
最近、私の近くでは清め塩を用いなくなってきました。それは葬儀社の協力もあって、中には「浄土真宗の葬儀ですから」と貼り紙まで用意してくださるところがあります。
なぜ穢れたものとされるのでしょう。命を願ったお方が亡くなったとたんに、汚いもの扱いをされるとしたら悲しいじゃありませんか。
ある時のこと。毎日々々病院に通われて、お父さんの看病に尽くされた娘さんがおられました。そのお父さんがお亡くなりになった当日ばかりは病院に行けなかったそうです。
臨終のお勤めが終わったその時、娘さんが駆けつけて来られました。どうなさったかというと、いきなりその父さんの顔に頬をすりよせなさった。
「父さん、ごめんね! 父さん、ごめんね! 今日は行けんかったんよ」
抱きついてお別れの思いを表現されたのです。いいなあと思いましたよ。汚いもんですか、怖いもんですか。
またある時のこと。お参り先で。
「私ね、この頃よくお葬式に行くんですよ。そうしたらね、清め塩というのが付いているでしょ。どういう意味か知らないけれど、なんでこんなバカなことをしなくっちゃいけないんだろう。亡くなった人はなんにも汚くなんかないのに。そう思ってから使わなくなりました。
学生の頃、クリスチャンの先生だったんですが、この清め塩はね、焼きしめてあるいい塩なんだ。おいしいんだよとおっしゃって、おにぎりにふりかけてパクパク食べてしまわれたんです。」
もし、塩が清めに役立つなら、お葬式の前に自分自身にふりかけておくべきですね。死者を穢れと見るこの煩悩が汚いのですから。
我々はもう亡き人を穢れと見る、そういう必要のない世界に身を置かせてもらったのです。それを大切にしたいですね。
亡くなった人を怖いもののように思っている人がおられますね。それは、死んだ人が怖いと言うより、その姿の上に自分自身の死が投影されているからでしょう。
亡くなったお方は恐ろしいですか。
タクシーに乗りますと、結構話し好きな運転手さんがおられまして、ある時のこと、乗車拒否と言うことが話題になりました。
「タクシーにはどんなお客さんが乗られるかわからんから大変ですなぁ」
「うーん、そりゃまあそうですけど、わしら手をあげたお客さんがあったら絶対止めなあきません」
「ほぉー、そうですか」
「そらぁ、そうせんかったら、もし会社に乗車拒否の連絡が入ったらどんな事情であろうと、すぐクビですわ」
「なんと厳しいですなぁ」
「わしはまだ経験はないけど、運転手仲間ではえらい目に遭うてまっせ」
「そら怖いこともありますやろな」と言うような話題になったんです。
すると、運転手さんがバックミラーを見ながら、
「お寺さんはその点よろしいな」
「何がです?」
「お寺さんは死んだ人が相手やもん、怖いことしまへんがな」
なるほど、そうですよ。生きてる人間が恐ろしい。煩悩を抱えたこの身ほど恐ろしいものはありません。何をするやらわからんのですから。それなのに、亡くなった人を恐ろしいものにしているのは何なのでしょう。
亡くなったお方の知らせを受けると、知らず知らずに理由探しを始めます。たとえば、高齢の方が亡くなると「そらもう歳やもの」、病弱なお方ですと「そらあ弱かったからな」、仕事にバリバリ打ち込まれたお方ですと「そらあんな無理を重ねたらしょうがないわ」。
理由探しを始めるのは、亡くなったお方には当然の理由があって、自分には当てはまらないと思いたいからなのです。そうして死を遠ざけておこうとする。この死を振り払おうとする心が、死者を恐ろしいものにしているのです。
この娑婆に生きる限りは、必ず終わってゆかねばなりません。何もかも失ってゆかねばなりません。どれ程に死なぬ努力をしたとしても。そのことを身をもって示してくださったお方こそ、亡き人でありました。
命終わってゆかれたお姿に接する時こそ、わが命の行く末をあらためて思わせていただく、そういうひとときでありたいものですね。