すなわち、さきには「輝くいのち」という書を出版し、これに続いて、今また「輝く讃歌」の出版を計っておられる。
「輝く讃歌」とは親鸞聖人の残された”正信偈”のことであって、この偈には真宗の教えの要旨がまとめられており、門信徒は数百年来、これを尊び親しみ、明け暮れ仏前の勤行に諷誦(ふうじゅ)して来たのである。賞雅君は自坊で多年法話を行っているが、それには多く正信偈を依用(えよう)している。したがって正信偈は、君の血であり、肉であり、命であるともいえよう。賞雅君のみならず、真宗の門徒はすべてそうであるのが当然であろう。
正信偈の解説書は、古来多く出版され、それこそ汗牛充棟(じゅうとう)もただならぬものがある。しかし君は単なる学問の書としてでなく、また講義のための本でなく、門徒がみな唱和しながら味わえるような書が欲しい−−と書いているように、それが最も大切なことであり、祖意にかなうものであろう。わたしも多年それを望んでいたが、君が今それにふさわしいものを書いてくれたことは、よろこびに堪えないことである。
この書は誰でも解るように平易を第一とし、しかも全篇を短くまとめてある。何事も煩雑な時代において、あまり長いものは一般の人にはひもときにくいが、この程度なら何返もくり返して読むことができよう。君がそうした点にねらいをつけたことが、この書の特色といえよう。
しかしながら君の視神経は年と共にますます不自由となり、近頃は殆んど失明に近いまでになっている。そうした中から一方で寺の業務を行いながら、なお学問と伝道を捨てず、しかもこうした書を完成した努力には驚くべきものがある。
君にこうした成果を挙げしめたものとして、節子夫人の支持力を見逃してはならない。この書を出版するに当たって、わたしに一読してほしいと渡されたものは、節子夫人の筆録によるものであった。すなわち君が口述したのを夫人がペンを持って追いかけ、それをテープにうつして更にそれを聞きながら文章をチェックして原稿用紙に清書されたのである。
そうした作業もなかなか容易なことでなく、普通できることではない。
坊守仕事が相当繁雑な中に、夫君にこれを成功せしめた節子夫人の労苦を改めてたたえずにはおられない。今こうして出来あがった文章を読みながら、一字一字に夫人の努力が浮かびあがっていることが偲ばれる。かくて夫婦合作ともいうべき伝道の書が、世に出たことを喜ばずにはいられない。これこそ浄土真宗を弘められた祖意にかなう、み法の精華として推奨すべきものである。
夜の窓辺を打つさみだれの音を聞きつつ
昭和五十六年六月下旬
山本 仏骨
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