今から十年程前になりますが、私のお寺の歎異抄の会の時に、当時の世話役でこの会の会員であった八重倉盛蔵さんがこんな質問をされました。
今この基本的な問題に対し、明確な答えを出されているのが「如来世に興出し給う所以は唯弥陀の本願海を説かんが為なり」の二句のお言葉であります。阿弥陀如来と釈迦如来の関係は、真宗の学問の上ではいろんな面から説かれていますが、解り易く一言で申しますと阿弥陀如来は救主、即ち救いの主であり、釈迦如来は教主・教えの主であります。
具体的に申しますと、阿弥陀如来の本願のおいわれを、私達に伝えん為にみ仏の国からこの世にお出ましになった方がお釈迦様であります。
次に真宗も仏教でありながら、仏教の開祖であるお釈迦様を何故安置しないのか、という疑問は今申しました事をよく理解されると自ずと解消されますが、私達の信仰の対象つまり私を救うて下さるみ仏は阿弥陀如来一仏であります。従って信仰の対象として安置するのは阿弥陀如来で、他の仏菩薩を並べて安置しないところに、浄土真宗の特微があります。
自力の教えでは自分の力だけでは仏のさとりを開く事はなかなか困難であります。よって諸仏菩薩の力を借りる為に諸仏菩薩を安置して、その加被力(かびりき)を要請するのです。
浄土真宗は阿弥陀如来の本願のひとり働きで救って頂くのですから、阿弥陀如来一仏を安置して、他の諸仏や菩薩を安置しません。
けれどもこれはお釈迦様を軽視することではなくて、阿弥陀如来一仏を信じてお敬いするままが、かえってお釈迦如来の本意に適い、お釈迦様を敬うことになるのであります。
(二)お釈迦様の本意はいずこ
そうした中にあって阿弥陀如来の本願のいわれを上下二巻にわたってつぶさに説かれた無量寿経(大経)こをお釈迦様の本意であったと親鸞聖人は鋭く見抜かれました。
私はこのことについて、少年の頃、先輩(滋賀教区稲岡義山氏)の法話で聞いた歌を思い出します。
お釈迦様は今申しましたように、沢山な教えを説かれましたが、その本意は阿弥陀如来の本願一つを説く為でありました。そのことはお釈迦様自身の言葉から、又道理の上からはっきり知ることが出来ます。
王舎城外の耆闍掘山(ぎしゃくっせん)の空は清く晴れ渡り、明るい陽光は燦々(さんさん)と降り注いでおりました。
これによってお釈迦様の本意は、弥陀の本願を説くことにあることが明らかに知られます。次に道理の上からこれをうかがいますと、「諸仏の大悲は苦者に於てす」(観経疏)という言葉があります。
即ちみ仏の大悲は常に最低の者に働きかけるのであります。さすれば先に申しましたように、お釈迦様は相手の能力を見極めて法を説かれました。善根功徳を積める者には廃悪修善(はいあくしゅぜん)の法を、心を一境に集中して浄土並びに仏を観想出来る者には観察(かんざつ)の法を、このように自力修行に耐え得る者には自力の法を、これらの自力の道を修めることの出来ない煩悩を一杯持った凡夫の為には、弥陀の他力のみ教えを、説かれたのであります。
されば仏の大悲は誰の為に働くか、自力修行に耐え得ない凡夫の為にこそ、偏に働き給うのであります。さすればお釈迦様のこの世にお出ましになった本意は、最低の凡夫が救われて行く弥陀の本願を説くにあることが容易にうなずけるでしょう。このことを今「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」と述べられたのであります。
(三)濁りの世を救う真(まこと)のことば
小久保君の話によると実に腹立たしいことが多いそうです。それは夜中に呼び出されて出動してみると、救急車を呼ぶ必要のないような軽い患者や、又家で手当をすれば充分である小さな傷でも呼ばれる、救急病院に運び込むと医者や看護婦から、何故これ位な患者を連れて来たかと小言を言われます。
私はこの話を聞きながら、知識が進歩することがそのまま真の人間向上にはつながらないことを感じ、一休和尚の今の歌を思い浮かべました。そうして人間はやはり有難い勿体ない、お陰様という宗教的教養を身につけないと本当ではないね話し合うことでした。
これに因(ちな)んで、NHKのラジオを聞いていると(昭和五十五年十二月七日)、校内暴力についての座談会の席で女性評論家が、電車の中で見られたこんな光景を話しておれれました。或るインテリと思われる婦人の連れていた幼い子供が電車に揺れて、思わず傍の人の足を踏みました。その時に婦人が、ごめんなさいと子供に代わってあやまられるかと思ったらそうではなくて、子供に向かって「電車が揺れて踏んだんだから、あなたが悪いのではないのよ、電車が悪いんだから謝る必要ないのよ」と言われたそうです。
お釈迦様は、末の世になればなる程時代や思想が濁り(劫濁、見濁)煩悩が盛ん(煩悩濁)で、人々がいよいよ悪くなり(衆生濁)生活が濁って来る(命濁)と説かれて五濁悪世と仰せになった言葉がしみじみ胸に響きます。
親鸞聖人も激しい時代の転換期に立って、煩悩渦巻くこの世界をひしひしと感じながら、そこに蠢(うご)めく人々を五濁悪世の群生界と仰せになって、このような暗黒の世を照らす救いの光、それがお釈迦様によって説かれた弥陀の本願であると仰がれました。
煩悩を持ちながら涅槃(さとり)を得るとは当時の人々の耳を驚かした言葉でありました。それは煩悩こそ迷いと苦悩の根元であって厳しい修行によって煩悩を断じつくしてこそ、そこにさとりを開く、これが因果の道理による仏教の鉄則であります。
私が学生の時利井興隆(かがいこうりゅう)先生から、中国の詩人で又政治家であった白楽天について、こんな話を聞きました。白楽天が隣の県の知事に任命されて赴任する途中、県境まで来た時に大きな松の木の枝に一人の坊さん(鳥巣(ちょうそう)禅師)が座禅を組んで修行していました。風が吹くと枝が揺れ、落ちそうで危くて仕方がないので白楽天は思わず”おい坊さん気をつけないと落ちるよ”と声をかけました。すると上から”落ちるとは汝の事なり”と言う声が返って来ました。そこで”生意気な、人が折角注意してやっているのに”と思い問答をしかけました。
”仏教とは何か? 一口に言って見よ””諸々の悪をなす事莫(なか)れ、諸々の善を行え””何、それが仏教か!! そんな事なら三才の童子も知るところ””三才の童子これを知ると雖(いえど)も、八十の老翁尚これを行い難し”
これより白楽天はこの鳥巣禅師について仏の道を学んで行かれました。それ以後白楽天の詩は宗教的深さを増したと言われています。
この禅師の答は昔から言われている七仏通戒の心を述べられたものであります。これは過去の七仏が何れもこの教えに従って人々を教化された言葉であります。「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」[諸(もろもろ)の悪をなす事莫れ、衆(もろもろ)の善を奉行し自らその心を浄くせよ、これ諸仏の教えなり]
この意は申すまでもなく、悪を止め、善を修めながら自らの心を浄くして行く、これがあらゆる仏に一貫した教えであるというのであります。そうした中にあって、煩悩持ちつつ悟りを開くということは当時の人々にとっては想像もつかないことであったでしょう。したがって自力修行の聖道門の人々はこの念仏の教えは仏教に非ず、外道なりというきびしい攻撃をしました。思うに法然上人や親鸞聖人が流罪にあわれた法難の原因もここに根ざしているのであります。それ故にこそ親鸞聖人は煩悩を持ちながらさとりをひらくことを信心の利益の第一にあげられて強調されたものとうかがわれます。
ではどうして煩悩を持ちながらさとりを開くことが出来るのでしょうか。岩石はどんなにしても必ず水に沈みますが、ひとたび船に乗せたならば、沈む自性のまま浮かびます。煩悩を欠け目なく具えて、地獄より外に行き場のない私ではありますが、み仏の大願業力という大きな弘誓の船に乗せられると、生死の迷いの海を超えて真実の浄土に生れ、仏のさとりを聞かして頂くのであります。
このお言葉には二つの意味があります。一つは自力の心を翻して他力にはいれば、皆平等一味の信心に生かされます。
親鸞聖人は、果てしなく広いみ仏の大悲を表す時に、常に”本願海”とか”弥陀智願の海水”とか、”光明の広海”とか”海”の言葉を以て表現されています。これは聖人が三十五歳の時、念仏停止(ちょうじ)の法難によって流罪になり、五年間波荒き、果てしない日本海を朝夕眺めてお過ごしになったその印象が深く脳裡に刻まれたことによるのでしょう。
海には二つの働きがあります。一つは大小様々の河の水を平等に受け入れる働きと、二つには受け入れた河の水を一味の塩味にかえる働きであります。み仏の本願は凡夫も聖者も善人も悪人も何等の差別なく受け入れて、しかも心は同じ一味の信心にかえて行きます。
従って同じ信心に生かされるが故に因平等であり、因平等なるが故に果又平等で、同じ仏のさとりを開くのであります。因平等とはすべての人々の信心が同じということであります。これについて、もう十四、五年前になるでしょうか、私の門徒に山之内タカという素直に御法義を喜ぶ有り難いおばあさんがありました。どんな法座にも欠かさず本堂の真中の一番前に座って講師のお話をうなずきうなずき聞いておられるお姿は、えも言われぬ柔和な美しい姿で、今も尚私の眼に懐かしく浮かんで来ます。このおばあさんが何時の間にか参詣しなくなりました。親類の家に法事に行きました時、このおばあさんが参っていたので私は問いかけました。
この言葉を聞いた時、昭和十一年、春まだ浅き二月二十六日、寒風身にしみ白雪暁天に舞う帝都に、血気にはやる青年将校に指揮された近衛師団によって首相官邸及び重臣の邸宅が襲われ、血潮に彩られた二・二六事件の時の陸軍大将で教育総監でありました。かって陸軍士官学校の校長を歴任された真崎さんは、かねてよりこれらの青年将校に信望が厚かったのです。そこで今度の事件の後に、真崎さんが青年将校をあやつったという疑いをかけられて、陸軍大将は予備役となり、教育総監の地位を追われたのみならず、未決囚として巣鴨の刑務所につながれました。
佐賀の浄土真宗の信仰の厚い家庭に育たれた真崎さんは、獄中の悶々たる情を癒す為に、親鸞聖人のお言葉をお弟子の唯円房が編集された歎異抄を巻き返し繰り返し読んで、信仰をますます深めて行かれました。裁判の進むうちにやがて無実が証明され、巣鴨を出て故郷の佐賀に帰る途中、大阪に降りて、利井先生を訪ねられました。利井先生が、”真崎さんよかったですね、今日の喜びを記念して書を交換しましょう。私も書きますから貴方も書いて下さい。”と言われた時に真崎さんは筆を取り墨痕鮮やかに「難抜(ぬきがたし)南無六字の城」と書かれて愚真書と記されました。これは頼山陽先生の石山合戦をうたった詩の一節であります。
(三)恵まれた信心
親鸞聖人は教行信証の信の巻きに、一念を解釈して、「一念はこれ信楽(しんぎょう)開発(かいほつ)の時剋(じこく)の極促を顕わす」と仰せになりました。これは法をいただく「最初」ということのほかに時間の非常に短い、一思いの間ということでもあります。
一味とは申すまでもなく一つの味に住するということで平等を表しています。速いということと平等ということは何を意味しているのでしょうか。それは共に本願他力のめぐみということを表しているのであります。自分の力で作って行くならばどんな些細な物でも時間がかかります。又自分自分で作るならば、どんなに似ていても違いがあります。然し出来上がったものを頂戴するならば、何の手間ひまもかかりません。又出来上がったものを頂くのには、誰が頂こうと皆同じです。
従って一念一味ということは他力の恵みを表しているのです。思えば煩悩を持ちつつ、やがて平等一味の仏のさとりを開くということは全く本願他力の賜であるということが明らかに知らされます。
思うに仏教は時代が経つにつれて、小乗仏教より大乗仏教へと、広さと深さを増して発展して来ました。その目指すところは、どのようにして速やかな救いと平等のさとりを達成するかにありました。それを思う時に、親鸞聖人が信心利益を
私は学生時分にこの和讃を拝読するたびに、一つの矛盾を感じました。煩悩によって仏を見ることができない。それはよく頷けますが、それならみ仏が摂取し給うていることをどうして知ることができるでしょうか。
これについていろいろ思い悩んで来ました。ようやく疑問を解く糸口が開けましたので、恩師山本仏骨先生とこんな対話を交したことがあります。
これはこれ御加被力(おんかびりき)とや申すらん おのずからなる心のなごみ
というのがありますが、お念仏を喜ぶ生活には、煩悩を持ちながらも、おのずと心のなごみが出てまいります。それは光明の中に摂取されているからでしょう。”
けれども私が今仏になったと言うのではありません。命終るまで煩悩を一杯持った私でありますから、縁に触れては怒り、腹立ち、そねみ、ねたみの煩悩が次々起ってまいります。然しそれによって往生についての不安はなく、こんなあさましいやつをお救いの本願と仰いでゆくのです。そうした風光を「すでによく無明の闇を破すといえども貪愛顛憎の雲霧常に真実信心の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆はるれども雲霧の下明かにして闇無きが如し」と仰せになったのであります。
(二)迷いの道は断ち切られて
「信を獲れば見て敬い、大いに慶喜すれば」とは、聞法を通して私を救うと働きかけて下さる大悲の呼び声に目覚めたときに、心にみ仏の慈悲を思い浮かべ、敬う心と共に、救われた安心の喜びが恵まれるということであります。ここに迷いの絆は願力不思議の働きによって断ち切られました。この事を先にも挙げましたが、聖人は和讃に
心豊かに生きるとは、心にゆとりを持って生きることであります。私は最近こんなことをしみじみ思うのです。後何年の命か知るよしもありませんが、たった一度限りの人生を、奇しくも人としての尊い命を恵まれて生きるのですから、残された命を大切にして力一杯心豊かに生き抜きたいと。
心豊かにとは相手の身になり、或る時には広い心で許し合い、或る時にはやさしい気持ちでいたわり合いながら、美しく生き抜くことでしょう。
私のお寺の照明(しょうみょう)会の会員の竹下鶴子さんが、こんなことを言われました。
そうした中にあっても、人の悲しみに胸が痛み、人の喜びを素直に喜べる、それはみ仏の大悲に触れ、大悲に育てられて自ずと恵まれる心のゆとりであります。
(三)み仏にほめたたえられて
広大勝解の者とは、広大の法をよく理解した勝れた人の意で、それはこの世にありながらこの世を超えた永遠の世界から呼び給うみ仏の呼び声に目覚め頷く人を賞め讃えられた言葉であります。又分陀利華とは印度の言葉で、中国の言葉に訳して白蓮華(びゃくれんげ)と言います。白蓮華は泥の中より咲き出て泥に染まりません。本願に頷く信心の華は煩悩の中に咲き出て煩悩に染まりません。この風光を善導大師は、
思うに聖人のこの感激感動は、そのまま今日念仏を喜ぶ私達の感激感動でもあります。煩悩を持った恥ずかしい私ではありますが、その深い内省の上にたって、み仏に賞められている自覚と喜びの中に、いよいよ自らをたしなみつつより美しい、豊かな生活をする。ここにお念仏者の生き方があると申せましょう。誰が詠まれたか次のような歌があります。
本願の救いの前には邪見の心、驕慢の心をはなれて、謙虚にみ教えを仰いで行きなさいとのお諭しであります。邪見とは、世間では血も涙もない非情な人を邪見な人と言いますが、本来仏教に於いてはそうではなくて、正しい因果の道理を否定する考えを邪見と申します。この邪見について二つのことが説かれています。
一つは断見といって人が死ねばそれでしまいという考えであります。即ち心といっても魂といっても、それは肉体があるうちのことで、肉体が滅びたならば、心も魂も共になくなってしまうという考えであります。その状態はローソクの火が消えたように、又水の泡が消えたようにというのであります。この考え方によりますと、どうせ人間死んだらしまいだから、生きている間に面白おかしく暮らすのが一番賢い方法である。倫理や道徳もそんなことは問題でないという、ただ一瞬一瞬の享楽を追い求める快楽主義におちいって行きます。
お釈迦様が印度に出られた頃、こんな考え方が当時の社会を風靡(ふうび)しておりました。これは当時のバラモン教の極端な苦行主義の反動として起こったものと思われます。けれども単に二千五百年の昔の話でなくて、現代の人々の心を強く支配しているのではないでしょうか。即ち凶悪な犯罪や自殺の増加はこの考えによるものといわねばなりません。
二つには常見であります。これは断見に対する真反対の考えで、人間死ねば又人間に生まれる、犬や猫が死んだら又犬や猫に生まれ変わってくるという考え方です。それと共に今一つはたとえ肉体は滅んでも霊魂は生きている、という考え方です。この考えも、やはり現代人の心を強く支配しています。よく耳にすることでありますが、どうも不幸や躓(つまずき)が続く、それで占い師に見て貰ったら何代前の祖先の霊がたたっているからと聞かされ、今までお寺に参ったことのない人がお寺に参って供養をあげることがしばしばあります。
この二つの考えは相反した考えのようでありますが、現代人の心に同時にひそんでいるのではないでしょうか。或る時には人間死ねばしまいだという考えに傾き、或る時には霊魂の存在を信じその支配におびえる。それは共にその奥にひそんでいる死の不安から起るものであります。ドイツのハイデッカーは、不安の哲学を説いて、現代人はどうして落ち着くことが出来ないのであろうか、それは意識するとしないとにかかわらず、死の不安におびやかされているからだと鋭く指摘しています。
一般に仏教はこの常見(霊魂の存在を認める)の考え方であると誤解している人が大変多いのです。けれどもお釈迦様は、人間死ねばしまいだという考え方も間違いと否定し、又肉体は滅びても霊魂は生きているという考え方も間違いと否定されたのであります。そこに三世にわたる因縁因果の法を説かれたのが仏教であります。ちなみにこの事をもう少し説明しますと、私がここにあり、いろいろの果報を受けていくのは、過去世の業の結果であり、未来の果報は現在なしつつある業によると説かれるのであります。
お釈迦様が、過去世でつくった業(行為)を知りたいならば現在受けている果報を見よ、未来の果報を知りたいならば、現在なしつつある業を反省せよ、と説かれたのはこれによるのであります。即ち今一度申しますと、人が死ねばしまいになるのではなく、又霊魂だけが残るのでもありません。みづからのなした善悪の業によって私が次の世界に生まれ変って行くのです。仏教はこの三世因果の道理をふまえて説かれていますので、断見にしろ常見にしろ、因果の道理を否定する人々には、この法を信じ受け入れられないのは当然であります。
(二)■慢(きょうまん)驕慢
増上慢とは自分はえらい、何でも解っているという、たかあがりの気持ちです。よく貴方もお寺にお参りしませんかと勧めると、坊さんの話しぐらい解っているからと言う人があります。これが増上慢でありますがこの人達は仏法を聞く考え方が根本的に間違っています。仏法を聞くとは坊さんの話を聞くのではなく、坊さんを通して仏様の教えを聞くことなのです。このことについて昔の方々がお寺のお説教をお取りつぎと言われたのは誠にゆかしい、当を得た言葉であります。
次に卑下慢とは、自分は愚かであり、浅ましいと口には言いながら、浅ましい、愚かと気付いただけ気付かない人々よりましだという気持ちです。浄土真宗のみ教えを聞く人々の中に、こうした誤(あやま)ちに陥る人々が案外多いように思われます。
私たちはこの点よくよく注意しなければなりません。いずれにしてもたかあがりの心では正しく仏様のみ教えを頂く事は出来ません。
今から三十年程前私の町の中学に、若い独身の先生がおられました。非常に頭の鋭い方でしたが、私にこんなことを言われました。”私には親鸞の教えは解りません、悪人めあての救いとか、凡夫そのままで救われて行くというようなそんな倫理を無視した教えは到底受け入れられません”と。
その時私は”貴方は親鸞聖人の教えが解らないと言われますが、貴方は貴方自身が本当に解っていますか。早い話が、同僚の先生があなたより一足先に栄転されたと仮定します。その時貴方は口ではよかったですねと言っても心の内はどうでしょうか。何か妬ましいおぞましい心が動かないでしょうか。そうしたあなた自身の本当の姿が見えない以上、親鸞聖人によって開顕された絶対他力の救いは到底解らないでしょう。”と答えたことがありますが、他力本願の救いとは、邪見の心を離れ、■慢(きょうまん)の心を捨てて、我が身は悪(あ)しきいたずら者よと、謙虚に法を仰いで行くときに誰の胸にも領解されるのであります。このことについては次の節で今少し詳しく味わってみたいと思います。
(三)心得易い信心
浄土真宗はあくまで聖道門自力の難行道に対して、浄土門他力の易行道であるという踏えをしっかりしておかねばなりません。浄土真宗を難信の法と言われる根拠を、「信楽受持することは甚だ以て難し、難中の難これに過ぎたるはなし」の言葉によって主張されますが、その前の言葉を見落としてはならないのです。
邪見■慢の悪衆生、この人々には、他力の信心を得ることが難しいというのであります。言葉をかえて言えば、邪見と■慢の心を離れて、謙虚に本願のおいわれを聞くならば、誰の胸にもやさしくはいり込んで下さるのであります。それは阿弥陀如来は法蔵菩薩の修行の時に、保ち易い、称え易い南無阿弥陀仏の名号を案じ出(いだ)し給うたからであります。
蓮如上人は「あら心得易の安心(あんじん)や、あら往き易の浄土や」と仰せになっておられます。
そこで問題は、如何に邪見の心を離れるか■慢の心を捨て去るかにあるのです。我執、自惚れの強い私たち凡夫にとっては、このことが実に難しいと言わねばなりません。ここに難信の理由があるのです。しかしこうした私にも、必ず救うとのみ仏の大悲が働き注がれています。よって私たちは謙虚におみのりを聞いていく聞法の積み重ねの上に、何時しか邪見の心、■慢の心がお慈悲の中にとかされてゆくのであります。
もう二十年も前になるでしょうか、毎年の五月二十二日より二十六日までの行信教校の安吾(あんご)(研修会)に参加した時です。午前五時起床午後十時消灯、その間食事の時間を除いて、講義、論議、講演が行われます。夜の講演はおもに学生や先輩がされます。三日目のことかと思いますが、私も大分疲れをおぼえました。晩の講演の案内に来た学生さんに”今晩の講演は誰ですか”と聞きました。”今夜は学生と先輩です”そこで私は学生さんの話ならば、疲れているから休もうかと思いました。が、折角南の果て鹿児島から来ているのだから、と自分に言い聞かせて本堂にまいりました。
その当時、京都大学の文学部長であられた井上智勇博士が、一般の人々に混って数珠をつまぐりながら静かに聞いておられました。私はその時ハッとして頭を打ちのめされた感じがしました。学生さんより少しばかりよけいに勉強したことをつい鼻にかけ、学生さんの話だからたいしたことはなかろうと■慢の心になっていたのです。井上智勇博士は、あれだけ広く深い学問を身につけながら、高校卒業して僅か三年程、仏教の勉強をした学生さんの話を謙虚に聞いておられる。私は自分のたかあがりの気持ちを恥じました。お話が終わって控え室で井上先生と話をしている時、私はふと”先生ほどの方がよくあの学生さんのお話を聞かれますね”と言いました。すると先生は、
私達は少々学んだ学問、身につけた教養、又長く話を聞いて覚えた理屈を鼻にかけて批判的に法話を聞いていないでしょうか。あの坊さん若いけど少々良いことを言うな、あの人はこの頃上手に喋るようになったな、こんな気持ちでお話を聞いていても、それではお話しが身につきません。又それは真の聞法ではありません。己を空しくして静かにみ教えを仰いで行くのです。自分の方に一つのものを持って、批判的に聞いていても、それではみ教えが身につかないことをよくよく知らねばなりません。我が身は悪しきいたずら者と遜って教えを聞かせて頂きましょう。
そのことを今親鸞聖人は、裏の方から「邪見■慢の悪衆生は信楽受持する事は甚だもって難し、難中の難これに過ぎたるはなし」と厳しくおさとしになったのであります。
このおさとしは邪見と■慢を戒めると共に、もう一つの意味があると先哲は申しておられます。それはこの他力のみ教えこそ最も勝れた最高の法であることを顕わしているのです。その時の「難」の意は、難しいという意味ではなくて「難(かた)い」即ち「有ること難い」という意味で、その辺どこにでもあるという法ではなくして、誠に稀有な、有ること難い、尊い教えであるという意味であります。親鸞聖人は「遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして已(すでに)に聞くことを得たり」と嘆じられました。
第五章 み仏の世に生れ給う本意
五濁悪時群生海 応信如来如実言
(一)阿弥陀如来と釈迦如来
先に阿弥陀如来の本願、それによって成就された光明名号の働きを讃嘆されましたので、今のこの二行二句は阿弥陀如来の広大なお徳を迷いの人々に伝える為に世に出られました釈迦如来の功績を讃えられたのであります。
この質問は素朴な質問ですが、真宗の基本的な問題だと思います。よく真宗の教えは相当聴聞された人でも、解ったようで解らないと言われます。仏教又は真宗はすっきりした理論の上に立っていますので、そう難しい、又ややこしい教えではないのですが、それが難かしいと思われるのはこうした基本的な問題を、説く方ではすでに解ったこととしてその解明をせずに先の方を説かれているからそんな感じを与えるのではないでしょうか。
親鸞聖人はお釈迦様がこの世にお出ましになった本意は、阿弥陀仏の本願一つをお説きになる為であったと仰せになりましたが、実はお釈迦様の教えは八万四千と言われるように、いろいろ沢山の教え即ち小乗の教え、大乗の教え、自力の教え、他力の教えといろんな面にわたって説かれています。これはお釈迦様の対機説法と申しまして、お釈迦様は法を説こうとする相手の性格、能力よ良く見極めて、その人に応じていろいろ教えを説かれたのであります。けれども目的は、迷いを転じて悟りを開く、即ち仏になるところにあることは言うまでもありません。その教えは八万四千、お経の数にして一万二千巻の一切経と言われています。
この歌には、娘を嫁がせた親の気持ちがよく表れております。村祭りが近づいたので、どうか皆様是非お揃いでおいで下さいと案内状は書きますが、親の気持は誰よりも我が娘に帰って来てほしい、娘さえ帰って来れば‥‥‥という気持でしょう。
ここには今やお釈迦様の説法を前にして、既に修行成り、神通力を身につけられた聖者(しょうじゃ)方、その他数知れぬ勝れたお弟子達が集まっていますが、誰一人寂(せき)として声はなく、その会座(えざ)は静寂と緊張に満ち満ちていました。ふと顔を上げて仰ぎ見ました時に、十大弟子の中で多聞第一と謳われました阿難尊者が、ふと顔を上げて仰ぎ見ました時に、お釈迦様のお姿は常と事変わって巍巍(ぎぎ)として光り輝き、にこやかなお顔は喜びと満足に満ち溢れていました。阿難尊者は静かに面を上げて、そのお姿を仰ぎ見ながら、
と仰せになって説かれたのが無量寿経であります。この光景を親鸞聖人は和讃に
「善き哉善き哉、阿難よ慧眼(智慧の眼)を以てよく問うた。」と阿難の問いを讃えられて、
「私は世に現れて、もろもろの教えを広く説いて来たが、それは阿弥陀仏の本願を広く知らしめて真実の利益を恵む為であった。今こそその時が来たからである。」
生希有心(しょうけうしん)とおどろかし 未曾見(みぞうけん)とぞあやしみし
とうたわれています。
如是之義(にょぜしぎ)ととへりしに 出世の本意あらはせり
一休和尚の歌に
私が学生の頃読んだ本の中にこんな歌が書かれていました。今も脳裡に残っていて時々思い浮かびます。幼児の間は天真らん漫でその無邪気さは仏に近いような感じを受けますが、だんだん知恵がつくにつれて、それから遠ざかって行くことは否定出来ません。つまり悪知恵と言うのでしょうか。そのことを傷んで読まれたのがこの歌であります。
すれば世の中が拓け、人知が進むということは必ずしも人間の向上や幸せにはつながっていないようです。
故湯川秀樹博士は、科学の発達は人間の生活を便利にしても必ずしも幸福にしないと言っておられます。
この言葉に私達はよく耳を傾けなければなりません。
このことを思う時、今年六月頃だったでしょうか、私のお寺のYBAを卒業して他県に就職していた小久保文夫君が、十数年振りに帰って来て私を訪ねてくれました。今千葉市の消防署に勤め、救急車に乗っているそうです。
又昼間でもタクシーを呼べば金がかかるが救急車だと無料なうえに病院に行ってもすぐ診察して貰える、こうした状態で救急車を悪用する人が年と共に増えています。然もそういう人は地元の人でなく東京都から移住して来た通称インテリと言われる層の人々に多いのです、と。
私はこの話を聞いて唖然とし、現代のインテリよ何処へ行く? という感を深くしました。
ここに「五濁悪時の群生海、如来如実のみことを信ずべし」と無上命令の言葉をもって力強く勧められたのであります。
第六章 信心の利益 〔その一〕
凡聖逆謗斉廻入 如衆水入海一味
(一)煩悩を持ちながら
お釈迦様がこの世にでられた本意は、弥陀の本願を説くことにあると讃えられて偏(ひとえ)に信心を勧められました。従って「能発一念喜愛心」より「是人名分陀利華」までの八行十六句は、その信心の五つの利益を讃嘆されたのであります。
この他力の信心の利益について次の四つのことに留意しなければなりません。
今「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃」とは、信心発(おこ)るところに、煩悩を持ちながら、それが妨げにならず、仏のさとりを開く利益を讃えられたのであります。
二、信心と利益は同時である。
三、その利益は精神的福利で、金が儲かる、病気が治る等の物質的福利ではない。
四、精神的福利によって心に豊かさを持ち、努力するところに物質的福利を得る。
(二)平等の救い
弥陀弘誓の船のみぞ のせてかならずわたしける
信心の第二の利益は平等の救いであります。それを詠われたのが「凡聖逆謗斉(ひと)しく廻入すれば、衆水海(しゅうすい)に入りて一味なるが如し」のお言葉であります。
二つには凡夫聖者又あらゆる罪の人々も一たびお浄土に生まれるならば、一味平等の仏のさとりを開かして頂きます。その二つの光景を巧みな譬喩を以て説かれたのが「衆水海に入りて一味なるが如し」というお言葉であります。
”おばあさん、この頃お寺に姿が見えないがどうしたの。”
”御院家さん、このばばも今年明けて八十六になりました。八十四、五の頃までは御正忌や彼岸会等お寺の法座には朝早くからお参り出来ましたがこの頃は子供や孫が朝早く家を出ると心配だと申しますので、それを押し切って参ることが出来ません。それで家からお寺の方に向かって親様を拝んでいます。”
私はこの言葉を聞いた時にふと蓮如上人の”仏法は若き時にたしなめ”とのお諭しをしみじみかみしめました。年を取れば歩行も叶わず、耳も遠くなり根気も続かなくなる、若き時にたしなめとのお言葉です。私は言葉を続けて”おばあちゃん、若い時から永い間お寺に参ったが、お寺に参ってどんなことが解ったの。”と問いました。”ハイ御院家さん永い間お寺に参ったお陰でこの婆々は、どこまで行っても頭の上がらぬ愚かな奴じゃと言うことがほんまに解りました。”
”真崎さん、この愚真とはどういうことですか”と問われたときに、
”それはおろかな真崎ということであります。世間の人は陸軍大将とか教育総監とか言えば一きわ偉い人間とか思うかも知れませんが、この真崎は仏様の前には、誠に愚かな頭の上がらぬ奴でございます。”と答えられました。
八十六才の、字も書けなければ読む事も出来ない先のおばあさんと、真崎大将と比べてみれば、人間の社会で大きな隔たりがあっても、信心の世界では全く同じだということをしみじみかんじました。信心平等なるが故に浄土で開くさとりも同じなのであります。このことを「凡聖逆謗斉しく廻入すれば、衆水海に入りて一味なるが如し」と讃えられました。
今この四句の言葉を見つめた時に、僅か四句の中に一という字が二ヶ所も使われてあります。即ち「能発一念の一」、「海一味の一」であります。一念の一は「無二」という意味のほかに速やか、速いということも表しています。
とうたわれましたことは、大乗仏教の到達すべき最高の極致を示したものと言えます。それは取りもなおさず、浄土真宗こそ大乗仏教の頂点に立っていることを表しているのであります。
如衆水入海一味 (平等の救い)
第七章 信心の利益 〔その二〕
貪愛顛憎之雲霧 常覆真実信心天
譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇
獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣
一切善悪凡夫人 聞信如来如実言
仏言広大勝解者 是人名分陀利華
(一)光明のなかに
総ての善人悪人の凡夫も、み仏の救いの誓いを信ずれば、お釈迦様始め、あらゆるみ仏から、広大の法の勝れた理解者であり、華にたとえて白蓮華のような美しい気高い人と賞(ほ)められるのであります。
信心の利益の第三番目は、光明に摂取される利益であります。このことを親鸞聖人は和讃に、
と詠われています。
大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり
この意(こころ)は、煩悩に眼がさえられているから、み仏を見ることは出来ませんが、み仏は常に私を摂取したもうというのであります。
”先生、この和讃の矛盾についてこう考えますがいかがでしょうか。凡夫の眼に摂取の光明は見ることはできませんが、どうして摂取されていることが知れるかについて、九条武子夫人の歌に、
”そうした味わいも否定はしないが、私はもう少し深いところで味わっている。”
”それはどういうところでしょうか。”
”往生論註(曇鸞大師著)という書物の中に、『非常の言は常人の耳に入らず』という言葉があるが、私が本願を疑いなく信じているここに摂取の光明に抱かれてあることが味わえる。摂取の光明と言えば何か唯外側から私を包んでいるように聞こえるが、そうではなくて、私の心中に入り込んで、内から私の疑いの闇をはらして下さる、ここに光明の摂取の働きが知らされる。”
三十年程前に聞いたこの言葉が、今私の脳裡に甦って来ます。誠に疑い深いこの私が、今如来の本願に頷き、お念仏をする我が身の上に、摂取の光明の働きが暖かく感じられてまいります。このことを「摂取心光常照護 已能雖破無明闇」と仰せになりました。
信心の利益の第四番目は、信心いただき、往生は一定(いちじょう)と安心するところに、み仏の願力の働きによって、迷いの道は断ち切られて、はや自分の力で地獄に堕ちようとしても堕ちることの出来ない身に定まった利益であります。
と詠われました。そこに帰るべき命のふる里を知らされて、心豊かに生きる生活が恵まれるのであります。
弥陀の心光摂護して ながく生死をへだてける
「先生、私は今まで教職にある主人について県内各地を回っておりましたが、定年になり日置に帰って来ました。日置に帰って来て、本当によかったと思うのです。それはお寺に御縁が結ばれ、聞法する身にならして頂いたからです。そうして私自身の過去を振り返り、現在を見た時に、変わらして頂いたなあとしみじみ思います。それは、人の苦しみ不幸には私の胸が痛み、人の幸せには素直によかったなあと喜ばれる身にさせて頂いたことです。」と。
この言葉を聞いた時に、思わず素晴らしいなと感じました。私達凡夫は、ややもすれば人の苦しみ不幸を見た時に、口には気の毒になあと言いながら、心の底には何かほっとした気持ちが動かないでしょうか。又、人の幸せ、喜びには口ではよかったですねえと言いながら、心では何か割り切れないねたましい気持ちが動かないでしょうか。お釈迦様は大無量寿経に「心口各違言念無実(しんくかくいごねんむじつ)」と説かれて、心と口とは違い、又言うこと思うことに真実がないと仰せになりました。こうした姿が宿業に生きる悲しき凡夫の生きざまであります。
第五番目の信心の利益はみ仏にほめたたえられる利益であります。
親鸞聖人はみ仏の教えを通して磨かれた鋭い内省の眼で人間を見つめられた時に、「一切群生海無始よりこのかた、今日今時に至るまで穢悪汚染(えあくおぜん)にして清浄の心なし虚仮諂偽(こけてんぎ)にして真実の心なし」(教行信証・信の巻)即ち生きとし生けるもの、量り知れない遠い古(いにしえ)から今日今の時に至るまで真実の智慧をもたない、無明による我執の煩悩に汚されて、清浄の心もなく、又うそ、いつわりによって真実の心なしと仰せになりました。この姿を更に具体的に「一念多念文意」に
とお示しになっておられます。
この凡夫の姿の上に、親鸞聖人は自己を発見されたのであります。それは聖人の言葉によって窺われます。
と仰せになりました。この意味は親鸞はみ仏の救いのみ手にあり、浄土に生まれる身でありながら、心は愛欲と名利にさまようて、救われた喜びも浄土に近づくことを楽しむ心も起らないとの嘆きの言葉であり、また悲嘆述懐和讃にも
虚仮不実の我が身にて 清浄の心もさらになし
と述べておられます。このように罪深き悲しき凡夫ではありますが、ひとたび如来の本願を信じ念仏喜ぶ身になれば釈迦如来はじめあらゆる仏がほめたたえられるのであります。このことを
修善も雑毒(ぞうどく)なるがゆへに 虚仮の行とぞなづけたる
と讃嘆されたのであります。
親鸞聖人は煩悩いっぱい持ったこの身のまま、み仏から賞め讃えられることに無上の感動と感激をおぼえられました。お念仏を喜び、大悲を仰ぎつつ生き抜かれた聖人の胸には、常にこんな思いが流れていたのではないでしょうか。九十九人の目の見えない人に賞められて何が嬉しかろう。九十九人の目の見えない人にそしられて、何がさみしかろう。真実の智慧の眼を開かれた仏様に賞められてこそ人間としての本当の生き甲斐、喜びがあると。
み法の蓮咲き匂う 浄土の影を宿さなん
第八章 聞法の姿勢
信楽受持甚以難 難中之難無過斯
(一)邪見
信心の利益をあげてひたすら信心をおすすめになりましたが、お釈迦様の教えに基づいて書かれた依経段(えきょうだん)の結びとして、本願の念仏を頂く心構え、即ち本願に対する姿勢についてお諭しになったのがこの四句のお言葉であります。
■慢とは一口に言えば自分は立派だと言う自惚れ、たかあがりの心であります。これについては二つ説かれています。一つは増上慢、二つは卑下慢であります。
真宗の布教をする人々の中に、又門徒の中にも、浄土真宗の信心は難しい、難信であると説かれる方があります。この言葉には一面の道理はありますが、これだけの言葉では舌足らずで非常に誤解を生じ易いので不親切な言葉と言わなければなりません。
”君何を言っているのだ。僕は学生の話を聞いているのではない。学生さんの口を通して語られる仏の教えを聞いているのだ。”
私はこの時、この先生こそ本当の学者であり、又信仰の人だと新たな尊敬の念が湧いてまいりました。
このように尊い教えであるから心を引き締め、身を正して真剣に聞きなさいというおさとしであります。
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