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以下の文章は藤岡道夫師の了解を得ての掲載です。
尚、文章のタイトルはオリジナルにタイトルが無い為、一時的に付加したものです。
ばあさんと 二人暮しと
ばあさんと 二人暮しと 大方の
吐き出す如く 言ふを羨(とも)しむ合同歌集の中に見た、石井欣之助氏の歌。この作者はすでに老境にあって、しかも連れ添う夫人に先立たれ、独り暮しを余儀なくされる身の上のようです。
独り暮しは所在ないものでしょう。会話のない食事は簡単に済みます。掃除洗濯なども三日四日に一度やればそれでいい。
物言う相手がなければ、独り言など口にして、それが唯一わが耳に入る人の肉声。クシャミでもすれば森閑とした家内に響いて、それに驚く仕末。まことにもって、老いた独りの暮しは淋しさ深く身を刻みます。語らいの相手も老人、これらの人もまた、子や孫と離れ住む身をかこちます。口々に”ばあさんと二人暮しじゃ変りばえもせん。別段おもしろい話もありゃせん”と吐き出すように言うのが大方の口調。
でもそれすらぜいたくな言い種だ、羨やまれもするというのが、この歌の作者の心境。この歌をみて、島根の妙好人・才市同行の歌を思いあわせます。
才市ゃ 愚痴をおこすだ 念仏申せ。 愚痴も仏になるそうな。
ともに連うて 念仏申す こがあな喜びや これが初めて。
才市たちや よいことだ 如来さんの喜びをもろて
そりゃ 如来さんと 居るだものこう歌うています。才市は胸に湧きくる愚痴と連れだちいっしょになって、念仏申すといいます。愚痴と共に念仏申す。心痛と共にお念仏。ためいきと共にお念仏。独り淋しさ心もとなさと共にお念仏。
これこそ如来(おや)さまとごいっしょすることだといい、これほどの喜びはないとして、お念仏賑やかに過ごします。
人間臨終図巻
人間臨終図巻という本の、今の私の齢で死んだ人の項に、俳人種田山頭火がある。この人は四十歳前に、妻子を捨て家を出て職場を転々と移った挙句、やがて乞食(こつじき)僧となって、放浪の人生を終ります。
かねて自由律俳誌・層雲の同人だった彼には、
”うしろ姿の しぐれてゆくか”
”鉄鉢の 中へも 霰”などがあります。その句友の許で息を引取ります。”なまけもの也。わがままもの也。きまぐれもの也。虫に似たり”とか、
”無駄に無駄を重ねたような一生だった”などと、自らを嘲ける世捨人の境界でした。職場と金に身をくくられる管理社会の今日の世相を反映してか、彼のファンがあります。さて合同歌集に鈴木冬吉氏の歌を読みました。
うつつなき 病む母が手を 游(およ)がして
伸びたる畑の 草抜くという鈴木さんの”九十を 過ぎて弱りし わが母の”と詠まれた歌で察するに、お母さんは終生農業に従事し、九十を超えてお弱りになったようです。老いての力仕事はともかく畑の草採る仕事は、晩年も身を離れず死の床に病んで意識もおぼろの仕種にまでなります。
農家の嫁の生涯は、夫に従い作り耕して、子供を産み育て、舅姑に仕え尽します。そして境界を捨てません。
我が侭・気侭・怠けもならず、五体の骨折り気苦労、身一ぱいに離れも逃れもならない生死の苦海の主役であり続けます。お慈悲の現場がここにあります。
ナムアミダブツは うちあけばなし
わたしに にょらいさんの うちあけばなし
”どうぞ たすけさせて おくれよ”と
ナムアミダブツは うちあけばなし木村無相氏の念仏の詩を呟やきお称名申します。
今は夜の盛り場に出る
今は夜の盛り場に出ることもなく日を過ごしています。が三十数年も前、二十歳代の青年の頃、ことに親しかった友と二人、互いに乏しいポケットの僅かなお金を確かめ合うて、しばしば盛り場に出かけたものです。
露地裏のなじみの酒場に陣取って、詩人であるこの友人と語らいます。その頃の深夜の盛り場の風景が、おぼろに甦る短歌を眼にしました。
手相師の 辺に停(たたず)める 二三人
何知りたきや みな女にて (日本歌人クラブ 山本康夫)見台に寄りついて引き取られた片手をあずけ、尤もらしい手相師の口調に順い肯き聞くのは、これみな女客。そんな女の人のどれもが、身に覚えの不仕合せを抱えていましょう。眼を輝かし眉をあげて生きるにはほど遠く、不安もおびえも剰るほど山々ある。だからさして当てにもならぬ手相師の言葉すら、よすがに縋ります。
自信ありげに断定して告げられる言葉で、不本意だった身の上を追認し、行く末の希(のぞ)みを探り身構える。まこと不確かな曖昧きわまりない人生です。人生に教えを持たない、つまり生きる上のお経が存在しません。
観無量寿経に聞く韋提希は、家庭崩壊の悲しみから、憂い悩みなき処を希(ねご)うて、み仏の教えに遇いました。み仏は説明抜きで、十方世界のことごとくをお見せになります。
説明で限定されるのを避けられ、韋提希の選定にゆだねられます。そうすることで韋提希に、阿弥陀さまの極楽・安養(あんにょう)の浄土へ是非とも参りたいとの熱い願いを導き起さしめられ、やがてお念仏のみ教えに及ばれます。
まさに周到なお慈悲・存分な如来のお示しごとと仰がれます。
朝日新聞歌壇の選者・島田修二氏
朝日新聞歌壇の選者・島田修二氏には、麻痺のため歩みが不自由なお子さんがお有りのようです。その病む子を伴い生きる状況を、真向から見据える一群の歌の作品を見ます。
おぼつかない足どりで、かろうじて父親の胸までたどりつく病む子にとって、これは難事、大事業です。そしてまた、この極めて弱い無力な命の子を見守っていて、父親にとって全身を傾けるほどに、これは重大事でもあります。
父の胸を目指し、たどたどしく足を運んで十数歩、ようやくにして胸にきた子を、がっちり抱いた瞬間は、途方もない一大事が集約して完結し、成就したとも言うべきもの。ここに親行なるものがあると見られます。
跛(ひ)行して 十数歩を来し 子を胸に
受けとめしとき 一つこと畢(おわ)ると島田氏は、ここをこのように詠みました。
今、阿弥陀さまを聞きます。煩悩の営みにとどこおり、業苦の暮しをさばきかねている生死(まよい)の命の私を、丸ごときっかりお慈悲の裡に蔵(しま)いこんでくださいました。善根を集約し、功徳を完結するナムアミダ仏の如来(おや)業は成就しました。私のこの口、この声にかけお称えするナンマンダ仏に、現われ来てくださいました。
親鸞さまに、ここのところをうががいます。
物の重さを計る計量器・秤には、持ちかける物の嵩・分量に見合って、キッチリ等量、それが目盛りに現われる。弥陀の正覚(おさとり)の善徳の総分量が、秤の目盛りに移るほどにして、私の命の裡に満ちてくださいます。ナンマンダ仏とお称えするまんま、弥陀正覚、大善大功徳を持(たも)つのです。
揉めぬいたリクルート事件
揉めぬいたリクルート事件は、根廻し上手な竹下内閣を崩し、奉りあげられて総理となった宇野内閣も、座標軸も定まらぬ様子で揺れています。転変極まりない政治劇の舞台に登場する人達の中に、一群の政治家秘書があり、ついにその一人、総理の秘書が自殺しました。
こんな事件にありがちな鍵を握る人物の自殺です。その当事者ならでは窺えない閉ざされた事情、追いつめられた心境がありましたろう。これは論評して見ようもないものです。
この事を離れますが、自殺ということで聞いた次のような話があります。
或る若い夫婦のお子さんの一人に、重度の障害があります。今九歳になっていて、寝せ起こし、飲ませ食べさせ100%の介護が要る。時折発作がきますのに緊急処置が要ります。その必要から県外に病院を求めて家を構えておられます。その奥さんに聞きました。
「病院のケースワーカーの方が、『障害のある子を抱えた親は、自殺しません』と言われます。『子供を残して死ぬなんて、障害児の親のそんな事例を聞いたことないよ』と、言われました。私もこの子を置いて先には死ねません」とキッパリした口調の話です。
常々、弥陀無量寿のお誓いを、慈悲至極のおいわれと伺います。親心の姿を眼のあたりにする趣きに、この若いお母さんの声を聞きました。
案じられてならぬ子の命に副うて”無量寿の声”がありました。ナンマンダ仏の声重なり聞こえ、命の裡に充満いたします。ナマンダ仏、この声、命に離れず一緒です。
世界規模
世界規模で政治・経済・環境などの課題に取組んだフランスサミット・先進国首脳会議が終わりました。七月十六日の新聞の一面に、参加国の大統領・総理大臣が並ぶ記念写真が掲載され、これがいささか注目されます。
カナダ・アメリカ・日本・イタリア・イギリス・フランス・そしてヨーロッパ共同体の八人の代表が並びます。中央は当然一人はフランス大統領であり、今一人はアメリカのブッシュ大統領です。フランスは今度の会議の主催国だから中央に陣取って当然として、大統領就任一年に満たぬブッシュ氏が悠然と中央に構え立つのは、国際的な力関係によるものでしょうか。
顔を仰向けながら胸を張り腹を出しているのは、日本の宇野首相です。何だか胸が一ぱいに背のびしている姿がいじらしくもあります。勿論一番端っこです。政権担当も間に合わせであり、責任の座が長くないと見て取られているのでしょう。ともあれ、各々の国ではトップ・頂点にある人でも、これが集まるとそこにまた序列・順位が出来てくる。
気兼ねなく 我を寄らしむ 居酒屋の
序列などなき 席温か (清水 定信)毎日歌壇の歌の作者は、社会の片隅の職場にも厳然たる上下の人間の序列があり、きしみを痛感しているのでしょう。
地球規模の順位・序列の格差から、小さな職場や隣近所の間柄にいたるまで、差異をはかり差別を言いたてて、不平等この上ありません。
阿弥陀さまの本願世界には、階級・序列がありません。平等一如が果されました。この如来(おや)さまのお望みを身に承けて、念仏申し弥陀好みに順います。
チェルノブイリ
チェルノブイリといえば、ソ連の原子力発電所の爆発事故で知られます。
あれから三年の余を過ぎますが、地元のウクライナ共和国では、事故のあと眼玉のない子豚やカエルのような頭をした子豚など、奇形の家畜が急に増えているそうです。
広島の三十五倍の放射能といわれますが、その八百倍もの大爆発によって生じた放射能の雲が、その日の東風によって西に運ばれました。チェルノブイリから五十キロ離れたコルホーズ・共同農場の例を新聞報道で知りました。
この農場は牛が三百五十頭、豚が八十七頭と小さい規模の共同農場です。ここで原発事故が起きる前までは、奇形の豚はたった三頭生まれただけでした。ところが事故のあと一年間で、六十四頭、昨年は九月までで七十六頭もの頭や手足や眼玉のない奇形の家畜が生まれました。
説教先のお同行に尋ねます。昭和六十一年四月二十六日は、世界最大のニュースが報道されましたが、お判りでしょうか、と。
でも、まずこれがチェルノブイリの原発事故だとのお答えは得られません。忘れます。他人ごとであってみれば、どんな大ニュースとて私の人生の内容(なかみ)となりません。
一年を めぐりて今し 秒針は
妻臨終の 刻(とき)を通過 (毎日歌壇 橋爪 啓)糟糠の妻を失って一周忌に、歌の作者は臨終の時刻を凝視(みつめ)ています。胸に彫りこみ忘れません。血を分け情ある者の事実です。
凡夫は愛によって生死(まよい)を離れず、と龍樹さまが説かれます。人生生活の実際には、凡夫の煩悩は愛の様相を帯びて濃密だと、如来(おや)さま慈愛の眼差しが及びます。
ビハーラ
ビハーラというのがあります。これは極めて重い病気の人、例えばガンの末期患者など、死のおびえをはじめ、さまざまな精神的な不安をかかえる病人に、仏教の信仰の上から、安息を導く活動といったらいいでしょうか、ビハーラといいます。浄土真宗を中心に熱心に取り組む人たちがあります。
ところで最近、森崎和江という作家の『死の話』という本を読みました。そしてこの本の中に紹介されている石川県能登出身の作家、加能作次郎の「厄年」という作品のことを読みました。
昔は特効薬のない死病といわれました結核にかかり、も早望みを絶たれた娘に向ってその母親が、
「念仏申さっしゃい。今に楽な身にして貰えるさかい」と苦しむ娘の背中を撫でながら、いつでもこう語りかけます。これに対して、娘はいいます。
「おうおう 俺たちは後から行くさかい 先へいって待ってございの。死ぬのではない 生まれ代わらして貰うのやさかい。有難い思うて お念仏申さっしゃい」と、母親は涙ながらに語ります。こんな趣の話です。
「先に行ってるさかい お前さまたちは後から来てくんさいませ」と、うんうん呻きながら答えます。病人は心に死の壁が立ちはだかりおびえています。ここに恩愛の情一ぱい母親が、親密にかかわり立ち入って、ナンマンダ仏と如来さまを告げます。離別の悲しみの中にも、れっきとしたご法義の座りから命往きつくお浄土を語ります。今生の別れがみ法(のり)に転じられ、尊くお荘厳されました。
二歳と半年になる孫娘
二歳と半年になる孫娘、この年令の幼児ならではの可愛い盛り、此方が面白がってる昨今です。
旅の土産の飯事道具が気に入って、おじいさんを恰好の相手に見立てては、大人びた口まね仕種で遊びます。
ところで今学校の夏休み、この地方の習慣で、朝十時・夕刻六時の二回サイレンが鳴ります。このサイレン、孫娘のどうしても馴染めぬものらしく、サイレンが鳴るたびに怯えます。
夢中で遊ぶ飯事(ままごと)で、なんぼ大人びた口調や仕種をいたしましょうとも、そこは幼い二歳の子、サイレンの度毎怯えます。 遊ぶ傍らに離れず付いている家族の膝や懐に飛びこんで、大人の腕の中に抱かれて、サイレンが止むのを待っています。大人たちの誰彼がしきりに宥めます。
”すぐ止むからね こんなにしていたらじき止むから”
”だいじょうぶ だいじょうぶ。すぐすむよ こわくないよ。おじいさんもおばあさんも ほらお父さんもお母さんも みんな平気 ちっともこわくないよ”と家中総掛りで、この子の安堵に当たります。阿弥陀さまのお誓いには、ありとあらゆるみ仏方が、あらんかぎりの力を尽して讃め称えられる功徳仏力充ち満ちる名号をもって、衆生救済の見込みが立ちました。
阿弥陀経には、東南西北上下十方のみ仏が、挙げてナンマンダ仏の功徳を讃え、念仏行者の信心をお護り下さると説かれます。
まことに仏方は総掛り、慈悲方便をもって衆生の疑いを霽(は)らされます。善巧方便を尽し、怯みも懼れをも除かれました。お称名申すばかりです。
哲学者ケーベル博士
哲学者ケーベル博士は、東京大学教授として廿一年間勤められました。その研究・著述の仕事は”文学において特に哲学において看過ごされたものと忘れられたもの”に集中して果されたと聞きます。
さて幼い女の子が四人誘拐殺害された事件は、ことに民放テレビのニュースキャスターが競ってカメラやリポーターを駆使して、その報道は詳細を極めました。
その後を週刊誌が追いかけて二・三週間はこれが特集記事となり、いまは月刊雑誌に場所を替えて、社会心理学・犯罪心理学などの専門家、それに推理小説の作家まで加わって、論文や座談会でもってこの異状事件が扱われています。
いわばニュース・事件として落ちつくように落ちついたと申せましょう。その間、加害者の顔や印刷所であるその住居を知りました。また被害に遭うた四人の女の子の顔を覚え、夫々のご両親の悲しみの声など何度もテレビ・新聞の報ずるところから、具に万人の知るところとなりました。
その上また、犯人加害者の妹さんは、折角ととのうていた婚約が、この事件のため破談になったことも知りました。これはこれで一つのニュースだから、テレビ新聞の扱うところとなったのでしょう。
しかし人の話題にも上がりませんけれど、深い悲しみにひしがれて、懊悩やる方もない人がある。加害者の父・加害者の母がそれです。
さらにいや、だからこそ、この那落(ならく)の底に落ちこむほどの父の苦しみを、苦しむ母の悲しみを悲しむ大悲が湧き起こります。大悲は極まりまして己の仕出かした事が見えてもいない青年の命に満ちて及びます。如来(おや)さまの声がとどきます。ナマンダブツ ナマンダ仏と来ておいでです。
同じ名ねと ダウン症児に 握手する
同じ名ねと ダウン症児に 握手する
担任新卒 洋子先生朝日新聞歌壇に見た加納正一氏の歌。歌の作者がダウン症児童の父親なのかどうか。
あるいは大学卒業しだちの新任教師である洋子先生を伴い、その担任することとなったクラスの児童に、洋子先生を紹介する学校の教頭先生でもありましょうか。洋子先生、子供たちの名を呼んでは、その名前と顔をたしかめます。
”○○洋子さん”読みあげた名に応じたのは、ダウン症の女の子。
”あら あなた先生と同じ名前なのね”と歩みよって、特に握手する。
まことに溌剌たる若い女教師の姿です。身心ともに健康な子供達の中に、体の上にも知能の上にも遅れの目立つダウン症児。その子を別け隔てせぬ振舞いには、なにより互いの上に共通な等しいものを見ていかねばならぬ。
よかった、この子、私と同じ名前の洋子さん。さあ洋子さん、あなた、握手しましょ。
光明寿命二無量の如来(おや)さまが、ナンマンダ仏と私にお宿りくださいます。光寿無量のお覚りの功徳をはらむ念仏者は、弥陀正覚に等しい位の命です。 ここを阿弥陀経に、如来さまが光寿無量であると説かれた上で、さらに極楽に生まるる人々までもが、同じ光寿無量の功徳を等しく保つと説かれます。
こうして親鸞聖人は、
念仏往生の願により 等正覚に至る人
すなはち弥勒に同じくて 大般涅槃をさとるべしと、詠われました。等しく同じであることがまことに殊勝の有難さと感嘆の声をあげられました。
通ぜざる 手話に悲しき 瞳して
通ぜざる 手話に悲しき 瞳して
聾児我が掌に 指で字を書く耳が聞こえぬ子には、声に出す言葉がない。訓練を受けて手話を覚えた。その子がしきりに手話でもって語りかけてくる。
しかし手話を知らぬこの身には、子供の話が伝わらない。どうにも通じぬと知って、この子、とうとう指先でわたしの掌に字を書く。一文字・一文字書いては眼を挙げて、こちらの理解をたしかめさぐります。その瞳は悲しみを帯び言い知れぬ淋しさがにじみます。
通ぜざる 手話に悲しき 瞳して
聾児我が掌に 指で字を書く思いが届かず意を尽せずして対(むか)い合うままでは、空しく心を塞がります。今、阿弥陀さまが周到なご用意のお誓いで、私の命に立ち向かわれます。例えば極楽の功徳を果す上からは、洗濯・縫物などまでを解除するよう採り上げられます。
洗濯ごときことまでを、抜かりなく採上げられる、実は凡夫の溜め息・苦悩の現場に立ち合うて、細やかにお見抜きなされた弥陀の慈悲。
身ごなし少し不自由な老人のお話に”今はまだ下着の洗濯いたしてますが やがてそれもかなわぬようになりましょう。さて何としたものかと案ずる中 眠れぬ夜が長うございます”と、しみじみ聞くことでした。
健やかなれば取るに足らぬ些細なことが、不自由をかこつ人には、身一ぱいの悩みとなって、忽ち夜の眠りを奪います。
弥陀大悲の誓願は、思いの裡に分け入って、この溜息に狙いをつけて、的をはずさず今ここに、ナンマンダ仏とお宿りです。ご一緒していて下さいます。
近頃会社企業の役付き
近頃会社企業の役付きとなり、公務員の管理職の椅子に座る、そんな女性があります。多数の人を使うて事業を営み、あるいは時流の先端にあって、才能を発揮する女性。また専門の学問に没頭する女性研究者も排出しています。
ながいきを したりし母の 手のわざの
遺るなく何に よりて偲ばむ紙塑人形作家・アララギの歌人・鹿児島寿蔵先生の歌です。その母上は明治の初めにお生まれで、大正・昭和と生き継がれ、昭和四十年頃、八十半端で亡くなられます。
寿蔵先生が母上の生涯を偲ばるるに、形に顕われ残る物が何にもない、と歌われる。しかし、この歌の背後にひそむ先生の思いの程を、この三月九十七歳で往生を遂げました。私の母のことを重ね合せて察します。
母親はいつも何かをしている。洗い、干し、たたむ。繕い、縫い、ほどく。刻み、焼き、煮る。沸かす。注ぐ、並べる、拭く、納う。手に細々と整え仕上げているようでも、今ここに、母の業績(てがら)だという形ある物では何一つ残存していない。
ながいきを したりし母の 手のわざの
遺るなく何に よりて偲ばむだがしかし、これだと局(かぎ)れはしない。あれだと定められない。小止みなく動く手仕事。暇なく身動きする姿が際限なく彷彿として顕(た)ち現れてくる。まことひたすら子故に一途であって厖大な慈悲の命です。
お念仏のみ法を導きくれた生命(いのち)であったと知りました。有難くも念仏につらなる尊い生命と拝みます。
ナマンダーブ ナマンダブ ナマンダーブ ナマンダブ ナマンダブツ。
ビリの子は まだ懸命に 走りいて
ビリの子は まだ懸命に 走りいて
マイクは次ぎの プログラム告ぐ朝日歌壇の下関・牛島正行さんの歌。運動会のカケッコ。これが学年最後の一とグループ。
一着がテープを胸にゴールするや次々になだれこむ。素早くマイクは場内一ぱい次のプログラムを告げました。
あろうことか、ビリの子はまだ懸命に走り続けているというのに。何たることを。
生きものの境界は激しい生存競争がある。英国の哲学者スペンサーのいう、環境に最も適したものが生き残るという適者生存の原理は、ダーウィンの”進化論”に用いられます。しかし弱者が保護を受け、低劣な能力の命が見守られるのは、動物にもあります。ましてや人間社会、国や社会を挙げて、弱者へ弱者へと細やかな措置が行われます。
でもその順序はまず全体。次いで普通一般。次いで三番手四番手。そうしてからようやく極めて停滞している弱者のところへ及ぶ。
ビリの子は まだ懸命に 走りいて
マイクは次ぎの プログラム告ぐ実際には弱者が切り捨てられ見放される情況があります。
弥陀のお慈悲は極限の弱者の命に立向うことから開始されます。平生仏縁を保って過ごすことなく、仏とも法とも覚えず知らずしてきて、今や臨終の床にある者。その情況、この命に忽ち通用する慈悲は如何に。ここのこの場に通用する慈悲のすがたと択(よ)り選(すぐ)り抜かれて、ナンマンダ仏が成りました。
弱者を救うではありません。これこそ大悲救済の本命、お目当てとこそ告げられます。
病むと言わば 寂しと言わば 吾娘は来む
病むと言わば 寂しと言わば 吾娘は来む
病むとは告げじ 寂しと言わじ (遠藤 千秋)もし私が病気だと言い、寂しいとでも報(しら)せてやろうものなら娘のことですもの、必らずやきっと来てくれるにちがいない。無理に都合をつけてでも来てくれましょう。そうするにちがいないからこそ、私は少々の患ぐらい、報せはしません。ましてや寂しいなどと、娘の耳に入れるつもりはありません。そんな母の心の裡を詠む歌です。
朝日新聞歌壇のこの作者の他の歌によれば、五十年連れ添う主人があるという。ならば少なくとも七十前後になられよう老女であること、以前から見る作品で知れます。
女性には歳が幾つになろうと、女ならではの語らいがある。とり分け母と娘の間なら、終日語り暮れてなお疲れも覚えず、心のコリすらほぐれようというものです。母と娘の間なら見栄・外聞も気になりません。心くつろぐ暖々(ぬくぬく)とした思いがふくらみ満ちます。そこには命連なる心情の構造(しくみ)があるかと怪しまれるほど。
このこと歌の作者は能く承知しています。母と娘と共に肩に力を入れずに浸れるその語らいの楽しみ知ってます。しかし母たり、親たる身の業に、娘の身の事情が案じられます。立場が思いやられます。
娘は育ち盛り、学業半端の子供がいる。経済的に一番大変な時、また家庭を守るのに最も油断ならぬ時期。娘に無理はさせてはなりませぬ。理解(わか)っていてやりましょう。今は自ら患いの身を労り、寂しい思いも自分で胸の奥にしまいこんでおきましょう。
深々とした慈愛の念いがふくらみます。先意承問したまえる大悲はまた倦(ものうき)ことなく、常に照したもうと喜ばれます。
ふくらみし 真綿の如く あたたかき
ふくらみし 真綿の如く あたたかき
母の声きく 受話器の中に (高知 結城 多良子)結婚して女性はおおむね生まれた家を離れます。新しい家での生活は、なみなみならぬ緊張した思いで始められましょう。かかってくる電話に出ること一つにも、身構えた声の響を帯びています。
電話のベルが鳴る。取りあげた受話器に伝わり聞こえくる声。途端にひきしめていた気持ちがゆるむ。身構えた力がほぐれてきます。母さんの声。そうお母さんの声です。用向きは些細な事。その実、娘を案じて掛けて来たデンワ。
ふくらみし 真綿の如く あたたかき
母の声きく 受話器の中になるべくこちらの言葉は端折って、そのお母さんの声音・ぬくもりに浸っていたい。これはそんな光景が思い浮かぶ。朝日新聞歌壇の歌であります。
人は産声をあげる前、その母の胎内にある中から、母親の声を聞いて成長するという。赤ちゃんはまったく見知らぬ世界に出ました。天地の間に何一つ承知しているものはありません。
生命(いのち)に群がり聞えてくる音響・声の中に唯一つ、母の声のみ識別するといいます。母の胎内で育つその間中・聞え続けてふくまれたその声一つ、生命(いのち)に承知しているのです。
弥陀成仏のこのかたは いまに十劫とときたれど
塵点久遠劫よりも 久しき仏と見えたもうこの私の認識・知覚に先立って、ナンマンダ仏のおん名告り。生死(まよい)の命にふくむよう、声のすがたに現われて、久しき如来(おや)のお呼び声・ナンマンダ仏と聞えます。
この世に生命(いのち)ある者は
この世に生命(いのち)ある者は、おおむね日に三度の食事をして、命を繋ぎます。一・二食抜いたからとて死にはしませんが、とにかく食べます。ましてや今、グルメ、美食・飽食の時代だといいます。
身内に人が死んだ。火葬場の炉に遺体を納めて火がはいります。お骨を拾うまでにはしばらく間があって、遺族をはじめいささかの縁に連なる人々数十人、待合室にたむろして待ちます。
丁度、時分どき、昼食が出されました。別棟とはいえ傍らの炉の火は、音をたてて燃える時、片やここにはいまだ命永らえて、世にある者の生の営みは終りません。盛大に食事はすすみます。
食欲があるのは遠縁の者だけだはありません。死者が患うている間、ひたすら看病にあけくれ、食事も疎かだった遺族・家族すら、今は食欲が戻っています。
炉の中に 焼かるる死者の 隣室に
生ある者は 飲食(おんじき)をする朝日新聞歌壇のこの歌は、死せる者と生ある者との厳とした隔絶を現わします。
今生の別れに涙し、泣きながら食欲だけはある。哀しいまでの命世界です。大無量寿経に聞きます。
人は恩愛の情を絆に、世に生きていても、つまるところ独り生まれ独り死にゆくもの。この孤独の命を的にした阿弥陀さまのお慈悲は成ったと説かれます。
今やここに、この孤独の命にナンマンダブツの如来(おや)さまが来てくださいました。ナマンダ仏 ナンマンダ仏、放っておきはしない、独りにしてはおかぬとおいで下さっています。孤独じゃありません。独りじゃありません。
月に一・二度
月に一・二度、風呂場の体重計に乗ります。大体六十一キログラム、この二年変わりません。背丈が今の一六八センチになったのは、たぶん高校二年、昭和二十三年頃だったでしょう。その後二十歳頃から吸い始めた煙草を、三十五・六で止めるまで、体重はずうっと五十二キロ。ほとんど二十年変化がありませんでした。
ところがタバコを止してから太りはじめて、六十七・八キロと一・二年の間に、十五キロも体重が増えたのは、われながら吃驚したことを覚えています。その後十五年、その体重が続きます。
それが一昨年健康検査にドック入りして、お医者さんに肝臓・血糖値・中性脂肪の注意を促され、食生活を改めるように申されました。一々もっともだと肯かされまして、それから少し心掛けまして、今の六十一キロの体重に、この二年落ちついています。
ところで乗っかってるだけでこの体重計、私の体に備わる重みを正しく目盛りにきざみます。私の生活環境・生活態度まで反映し、体重そのままが目盛りに出ます。
さて”この上の称名”という時の”称”という字は、物の量目をはかり出すとということ、と親鸞聖人のお導きがありました。私がお称名する。これすなわち如来(おや)さまのお徳ご讃嘆、ほめ讃えることとなるのです。
物に備わる重みまるごと秤の目盛りに現われ出ます。弥陀の正覚(さとり)のお徳まるごとが、称えれば出るようになってるのですね。これぞ仏力功徳を、凡夫に称えられる名号にお仕上げの仏智のおいわれにほかなりません。ナマンダブ ナマンダブ。
ふくらみし
ふくらみし 真綿の如く あたたかき
母の声きく 受話器の中に (結城 多良子)何ほどの用事もないのに実家の母から電話がかかって来た。受話器に伝わり聞こゆるその声は、常の如くふっくらあたたかい。暫くは声の響きを楽しむように聞き入ります。
急ぎの用がある訳でなく、ただ何となく日々の消息を気遣うてかけてきたもの。それだけにお互いの日々の明け暮れ告げ会えば、それで用は足りてます。
さりとて受話器を置きませぬ。田舎に離れ住む老いた父・母の暮しに変わりなければ、ご近所の誰れ彼れ、田畑の実りのことなどを尋ねたずねて話を引き出し楽しみます。話の内容はともあれ、おだやかにふっくらとした母の声音にひたるように聞いてます。
あたかも陽差しの中にふくらんだ真綿にふくむ温もりに似て、遠く住む身の裡にきてしっとり分け入り満ちました。声に慈愛を含みこみ、母それ自体がそのまんまここに来てくれています。
ふくらみし 真綿の如く あたたかき
母の声きく 受話器の中に極楽は本願の音声(おんじょう)世界、清・揚・哀・亮・微・妙・和・雅、弥陀如来(おやさま)の声の響きのみ満ちるとこ。十方諸仏の国にある、業苦の生死(いのち)、流転の命に響ききて、安堵の思いふくらみます。
声、仏事をなす、といわれます。まさしく生死勤苦この境界は、業苦の声があります。そこに声の如来(おや)さま、阿弥陀仏の声がきて、ナンマンダ仏とお宿りです。孤独じゃないよとごいっしょです。この世を過す間中離れずにいて下さいます。ナマンダ仏 ナマンダ仏。
子猫らが
子猫らが パン食ぶる様 見ておれば
盗みし親も また可愛がり朝日歌壇にみた歌です。
犬については母が”お寺には 体の不自由な人や 子供だちが気軽にお遣いに出入りし易いよう 犬は飼わぬが良い”と申してましたので、全く私の周囲に犬がいたためしがありません。
私が生まれ育った福岡の田舎の寺にも、幼い頃、猫が居たような気もしますが、或いは近所の飼猫だったかも知れません。私が自分で猫を飼うた覚えはありません。さて猫は一度のお産に何匹の子をもうけるのでしょうか。三匹・四匹も産むのなら、乳丈で足らなくなる頃、親は猛烈に忙しくなるにちがいない。わが子に与えるためには、何にでも手を出します。
ふと見ると、子猫たちがこの手で与えもしないパンを貪り食うている。親猫の仕業である。子猫らが食べる有様を傍らで見守って、自分は食べようともしない親猫です。
子猫らが パン食ぶる様 見ておれば
盗みし親も また可愛がり親は子の命を見守って必死です。人であろうと動物であろうと、夫々その境界における親共通の生きざまです。
阿弥陀さまのお証(さと)り功徳・仏力のおいわれを、お経に”和顔(わげん)愛語・先意承問”したもうたと告げられます。
まよいの命・私に立ち向かて如来(おや)さまは、私がどれほど愚かに浅ましゅう見えましょうとも、凡夫・有情たるその身にとっては、それより他生きて見ようもないものかと、和顔愛語なさいましす。汲みとり受け容れたまいます。ナンマンダ仏の中味には、すべてこの私の事が組み込んで、成し遂げられてあるのです。
齟齬あまた 有り経しわれの
齟齬あまた 有り経しわれの おきふしに
添ひてひたすら 来し妻が病む細川徹之助氏のこんな歌を読みました。
男は生涯、仕事・人間関係の上で、齟齬(そご)・蹉跌(さてつ)を来しては、まま連れ添う妻に、憤懣を傾け時に当たりちらすなど粗野なもの。それは男のわがままというものでしょう。とはいえ、当たられる女房こそ災難ですが、そこを呑みこんで従い添うていく。今妻が恢復望めぬ患いで、衰えて床についた。男の介護は拙くぎことないものです。痩せた妻のふくらはぎ揉むなどしながら、胸に悔恨の思いが湧きめぐる。つき従うてきた妻に報うもの一つなく、このまま先立たせることとなれば、これぞ人生最大の齟齬ぞと暗澹となる。身の内の力が萎えていくほどくやまれてならない。こんな歌の心。
お経に告げられます。この命の終るにあたり、世にある間犯してきたさまざまの罪の一つ一つがよみがえり、更に命のゆくえをあやぶむ怯えとが、胸の内にせめぎあうとか。
ここに弥陀ご一仏、この実体(ありさま)を見抜かれます。一切の凡夫、当面する事態に一途になっても、齟齬だらけ、おろおろ立廻って辛苦とめどもない。他にどう生きてみようもない奴かと抱かれます。
如来(おや)さまの慈悲誓願は、こんな命に立向われます。お慈悲の仏(おや)は、愚かさ・浅ましさを発(あば)かれません。罪を裁きも責めもされません。
ただひたすら、凡夫私の成仏の見込みを立てて、功徳を集めた仏力を、ナンマンダ仏に成し遂げられ、私の命に持ちこんで来てくださいました。
今やお宿りごいっしょで、この口にナンマンダ仏と称えられて下さいます。
近頃公共施設
近頃公共施設のトイレやエレベーターなど、体の不自由な人が利用し易いように整えられています。交叉点を渡れるように音響で導きます。また講演会に手話通訳がつくなど配慮がされています。
でも障害者の日常は、起き臥しに不自由で、不安おびえが離れません。のみならず、心ない周囲の人の言動や眼差しにも、いらだちや怒りをすら覚えるのが実情でしょう。暫く前亡くなりました私の従兄は、中年になって眼の患いから、視力を失いました。
或る日、次ぎの様にもらしました。
身障者 夫が嗟嘆を まつぶさに
”気をつけて下さい。そこには段がありますよと教えてくれる親切な人がある。
しかしなあ段があるといわれても上がる段なのか下がる段なのかそれがわからん”と、こんなおもむきの話で、もっともなことと肯かされます。
知るは吾のみ 二十年経つ (六百田 美都子)という、身障の夫に連れ添うご婦人の歌を読みました。他人にゃ解らない。傍観者の知るところじゃない。身辺の介護に明け暮れ二十年。それはまた、いらだち嘆きの呟きまで、ことごとく聞き続けた二十年でもありました。
この歌自体、この婦人の嘆息(ためいき)・嗟嘆(なげき)の声でもありましょう。
極楽は弥陀の大悲、満足しきって建立されます。仏力成就して、障害者の嗟嘆(なげき)が解除され、女性の嘆息(ためいき)が沈静(しず)められました。 弥陀の浄土に嗟嘆(さたん)の姿を見ることなく、愁嘆の声も絶えて有りません。
親鸞さまご和讃に”身相荘厳みなおなじ”と、謳われ”顔容端正(げんようたんじょう) たぐいなし”と、讃えられ”平等力を帰命せよ”と仰がれました。
お説教の二日目が日曜日
お説教の二日目が日曜日、その寺に参詣の同行に伴われてきたとみられる子供達が七・八人が、本堂の隅にかたまっています。
お話の前、如来さまの前のお供え物を眺めて、私が子供達に、
”何かお下り頂戴できたら思うけど 適当なものないな。お餅もだめだし お菓子もないし”と申しました。すると、傍らにいらっしゃたご院家さんのお母さん、あたふたと庫裡に入られたと見るや、ビニール風呂敷の四隅を掴んで、一包み何やら持って出られました。
”さあ あんた達 これお上がり”と、出されたのは、法事饅頭の一山です。 こうしたもの、今時の子供達が喰べるかなと見る中に、七・八人の子供達、夫々手に饅頭を握って頬張ります。まことに微笑ましい光景で、見てる当方(こちら)まで嬉しくなります。勿論、同行達もほほえみ眺めます。
ところでこの饅頭、お寺に予め用意されたものじゃありません。いわば有合わせ、間に合わせもの。もしそこに呉れてやるものが何もなければそれっきりです。
さて今ここに、私に宿る如来(おや)さま・ナンマンダ仏のいわれを聞きます。
生死流転・輪転止まぬ命の私に、眼差し深く寄り付いて、見離しならぬ如来さまが”廻向を首”当初から関わりきって下さいました。有り合わせものじゃありません。間に合わせものどころか、これは全く私に狙いを絞って、必ず救う、きっと助くると、功徳力仏力ありったけを、ナンマンダ仏にお成就(しあげ)です。弥陀大悲ご満足あって、私に来てご一緒下さいました。
病む夫と われの手首を 縛りたる
病む夫と われの手首を 縛りたる
紐の弛みの 中に寝返る (吉野 栄子)この歌の作者は、昏睡状態が続く夫の介護をしています。終日家事に追われ看護に疲れる作者は、前後不覚に熟睡して夫の身の異変に心付かぬを憚ります。
そこで夫の手首とわが手を、互いに紐で繋いでおいて、眠りに入ります。はじめの中寝返りうって、はからずも紐を引張る形になって、度毎に眼覚めてしまいました。それが夜毎の眠りに馴れる中、いつの間にやら紐が弛む方に寝返る癖がつきました。紐の長さの範囲から、出ることならぬ身にとどめ、夫の命を保ちます。
病む夫と われの手首を 縛りたる
紐の弛みの 中に寝返るまこと苦悩の有情の典型を見ます。そしてこの哀しいまでのいじらしい夫婦の命の縁ごとは、
生死の苦海 ほとりなし ひさしくしづめる われらをば
弥陀弘誓の ふねのみぞ のせてかならず わたしける
という、親鸞さまのご和讃を呼びおこします。柳宗悦といえば、庶民の暮らしの道具類に、職人の錬磨の技のたくまぬ美しさを見出し”民芸”ということを提唱し、広く世に知られた人です。
弥陀大願のお浄土が、広大にして辺(へり)もなく際もなし、と説かるるところを、”どことて み手のま中なる”と偈われました。
虚空広大なお浄土は、これだけ、ここまでの区切り局(かぎ)りが有りません。どう身動きしましょうと、この身のまんま大悲のみ手の真中です。
オリンピック
オリンピック史上最多の参加国があって、ソウルオリンピックは盛大で、スポーツ好きの私は、テレビの競技シーンに尠なからず興奮いたしました。たまたま説教先で、朝席のお話を終ってお昼ご飯を頂きます折り、女子バレーボール日本対韓国の熱戦の模様が、実況放送されています。試合が進む中、日本選手の打ち込んだ球が見事韓国守備陣を抜いて、明らかにポイント挙げたと見えた瞬間、アウト。線審がアウトのゼスチャー。ビデオで繰り返す画面では確実に入っています。
更に今度は韓国選手が力一ぱい打ちこんだ球が、日本のコートの外に出で、明らかにアウトボールのはずなのに、線審の手はコートの中に入ったのゼスチャー韓国ポイントです。まことに歯痒いことですが、何とも致し方ありません。何たって韓国でのオリンピック。線審を韓国の人が勤めるなら、これ位のことはあるかと見ました。
果して試合終了後のテレビ解説では、日本チームの監督が試合前、選手達にこんなことしてやられるとみて、三・四点は覚悟してかかろうぞと言い含めたとのことでした。もう既に見込みの中にあったのです。
龍樹菩薩が”凡夫は 愛によりて 生死を離れず”と仰言る。
親鸞さまは”恩愛はなはだ断ち難く 生死はなはだ尽き難し”と、これを頷かれます。”まづ 凡夫は事に於いて 拙く愚かなり”と覚如上人のお聞かせも、いずれもいずれもナンマンダ仏の如来(おや)さまが、見込みの中に取込まれた慈悲満腔の思召しに違いありません。
女の人の一日は朝の仕度で始まります
女の人の一日は朝の仕度で始まります。炊飯器のご飯・ポットのお湯を確かめて、ミソ汁の実を刻む。漬物をあげる。よそう・注ぐ・並べる。洗うて伏せて片付けたら、濯いで干して、掃き出して拭く中に、朝は過ぎます。
取り入れて畳んでアイロン掛けながら、夕飯の献立を考える。そうする中にもあれを遣いきってた、これも残り少ないと心付くまま買物のメモなどをします。 クリーニングが届いたところで、タンスの整理を思い立って、やれま、なんと忙しいことと独りつぶやいたり、などなどなどなど。
妻の煮し マーマレードも 今朝終る
すくなき縁 また一つ絶ゆと妻に先立たれた男の悲哀の歌にした、並川渉さんの奥さんは、死にゆく身の予感をもって、後に残る男やもめの夫の身辺に、あれこれ気配りの言葉をかけました。
家事万般見事に出来ずとも、せめて朝夕の仕度がかなうよう、またむさいな身なりにならぬよう、夫に連れ添う幾年月、ずうっと気遣うてきた経験のあれを言い、これを告げ、そうして逝った。逝ってしもうた。そこを、
貴方もし 残らばああせ こうせよと
言はれしを何も 覚えておらぬとも詠んで、妻の一生のはかなさと、取り残された男の”独り”の悲哀をこぼします。
イミ・ネウチの実りなく、女の一生にユクエ見えず”空しく過ぐる”と如来(おや)さまがお哀しみの命の様相が露出いたします。
本願力に遇いぬれば 空しく過ぐる人ぞなしと葬式のご和讃は讃われます。ナンマンダ仏の如来(おや)さまが、今や空しい過ぎゆきの命に宿り、流転を止めて下さいました。あなた、よかった、涅槃(さとり)に往きつく命ですねと讃います。