阿弥陀さまが、ごいっしょです (2)

藤岡 道夫師 法話 

以下の文章は藤岡道夫師の了解を得ての掲載です。
尚、文章のタイトルはオリジナルにタイトルが無い為、一時的に付加したものです。


はじめに

テレホン法話は、二分五十秒余の片々たるものです。それが六十二年度は、7,359回、望外の利用度数に上りました。

これはひとえに、長門俵山西念寺・深川倫雄和上のお言葉を、話の骨子に戴いたによると窺いみます。本篇第五話から、三十一話に至るものがそれです。

積年、和上の膝下に学んでなお領納するところ微少。継続の寸話に辛苦しては、胸奥の師言に拠って涸渇を潤そうとこころみました。

しかし、隆然たる師説の中の、片言隻句を用いてはたして妥当か。あるいは説意を真正に受け得ているかと畏れます。

ただ感話中に適言ならずとも和上の一言一句は鉄案です。仏意・教意が指授せられてゆるぎもありません。再読三読の深読みをもって了察願います。

和上、さる日の講話に”本願の行者たる者すでに素凡夫ではない”と仰せです。篇中できるだけ等正覚の身の上を告げ、書名も改めず前の”阿弥陀さまがごいしょです”第二集としますも、その意向をもってしたことです。

装幀などに用います”蓮華”は隣郡熊毛の同行、山本アキノさんのご好配によります。大津市在住の仏画家・橋田栄一郎氏の英美子夫人が山本さんのお嬢さん。自ら絵をなさる夫人、母上の請を容れて、この本のために描いてくださいました。

此の界に一人 仏の名を念ずれば
西方に便ち 一蓮ありて生ず
法徳・師徳にともなう、なみなみならぬ恵み奉持(ぶじ)頂戴するばかりです。

昭和六十三年盛夏 大光寺住職 藤岡道夫

親鸞聖人のご恩徳讃仰

親鸞聖人のご恩徳讃仰の季節となり、各地に報恩講が営まれます。

この地上にはじめてお三部経の真価が鮮明になって、阿弥陀さまの本願名号のおみ法(のり)がその全容を顕したのは、ひとえに聖人のご出世のご苦労によります。
とりわけ八十才前後から御歳九十才、ご往生までの十年ほどは壮絶なまでのご活動ぶり。

一年三百六十五日、聖人の手に握られる筆の穂は、連日タップリ墨を含みます。乾くいとまは一日たりともありません。

沢山の書物を著されます。さらにお住いの京都から関東地方に住む同行衆の群に向けて多くの便りを書き送られます。そのお手紙は、受け取った同行の手許に大切に保管され、伝え残されて今日に及びます。

また手紙によって告げらるる、おみ法の義(こころ)を味わい保つべく、沢山の同行たちの手で写しとられ、これも大切に伝えられました。

正元元年、聖人八十七才、十月廿九日のお便りがあります。この中に、かな文字で、かくねむばう・かくねんばう、と二人の同行の名が見えます。が、こうして耳で聞くと解りません。

はじめの覚念の名は、まみむめも、の<む>を使って、かくねむと書いて念仏の念という字だとあらわされます。次の覚然は、天然自然といったり、野生の山いもを自然薯(じねんじょ)というときの然(ねん)という字です。

聖人は常に、かな文字の一つにも充分に心をお配りになって、厳密に使い分けられました。これを八十七才というお歳で、明晰に苦もなく果たされたその精神の冴え、まことに感嘆至極、有難うございます。有難うございました。文字どおりご開山聖人出世のご恩でございます。


再び親鸞聖人八十七才

再び親鸞聖人八十七才、十月廿九日付のお手紙ついて話します。

この手紙は”閏十月一日の御文、たしかにみ候”と、書き出されます。つまり関東栃木県・高田入道から来た手紙に対しての返辞であることが知られます。

聖人が関東をお離れになって既に三十年。関東在住二十年の間に馴染みであった人々の悉くが年老いて弱りました。

近年(ちかごろ)手許に届く便には、毎度(まいたび)一人か二人、先立ち往った友同行の名前が伝えられてまいります。櫛の歯が欠けるように皆往きます。

今回、高田入道大内国時からの便りにも、覚念坊の往生のことが伝えられました。
それを承けて十月廿九日に記(したた)められた、八十七才というお年を召した聖人が、往生の時を目前に見据える思いの、このお手紙は一入(ひとしお)しみじみとしたご心境が表れて、殊勝のお味わいがうかがわれます。

この親鸞の方こそが、先立ち往くものとばかり思い、やがての往生を待つ心地で過ごしておりましたものを。親鸞ほどの年でもない、覚念坊どのの往生の報(しら)せを聞こうとは、言おうようもないことです”と、かみしめたお心持ちが述べられます。

そして言葉が継がれました。
思えば昨年、往生を遂げられた覚信坊どのも、お証(さと)り世界で、待ち受けていてくれます。このこときっと動かぬ事実ですから。

念仏の行者、お互い悉くが弥陀正覚の華の中に生れ合います。必らずきっと生れ合うべき身となり得たこと、申すまでもないことです”と。

ここに、阿弥陀経の”倶会一処”の正意が懇ろな述懐のおもむきに語られています。


年改まって、ご正忌

年改まって、ご正忌に因(ちな)むお話です。

親鸞聖人ご往生から六年後、八十七才となられた奥方、恵信尼さまが、京都においでになる末娘、覚信尼さまへ向けられた手紙が伝わり残ります。

近頃、年老いた犬が寝そべっては立ちあがる。どこへという目当てもないまま、ちょいと立ち歩いては、どさりと横になる。そんな有様の日暮しで、物忘れもひどうて惚けたような近頃です。

今ははや、往生遂げる日、その時を待つばかり。おそらくこの便りが、今生の最後のものとなりましょう。だからといって、こんな衰えた様子でも、暗く沈んで、歎くまでもありません。

この私は、必ずきっと極楽へ参らせて頂く身なのですから。そなたもどうぞ、お念仏申され、極楽へ”まいりあう”身と、ならせられますよう、願うてやみません。

極楽に”まいりあう”からには、暗く気落ちすることなく、万事明るく存じている処ですから・・・と、お書きになりました。

今生最後のお便りかと、念を押しながらも”参りあう”倶会一処の恵みを、喜ばれます。翻って親鸞聖人の八十七才、十月廿九日のお便りに”かならず、かならず、一つところへ参りあうべし”と、二度くり返されますのと、恵信尼さまの便りが、照り映えます。

十五年前、親を亡くした越後の幼いお孫さまの面倒を見るべく、恵信尼さまが京を離れられる。共に八十・七十を過ぎた老いの身。別れは恵信尼さまのお嘆き涙の中でしょう。そこに聖人のお言葉”かならず、かならず、一つ処、極楽に参り合うべき身、きっとな”と、聖人がさとすように、お聞かせだったに違いない。離れ住まれる恵信尼さまの胸臆(むねのうち)に、珠玉(たま)の如く懐かれてあったに違いありません。


親鸞聖人七十才代から

親鸞聖人七十才代から、八十才代後半まで莫大な量の”うた・ご和讃”が、まるで織物のように紡ぎ出されています。

古く平安時代からご在世の鎌倉時代まで、世間の人の口に乗る”うた”の様式がありました。今様、つまり流行り歌です。

その流行のうたの形を利用して、お経や七高僧の論・釈の漢文の語句を日本語の用語でもって和らげられます。それは、み仏やお浄土の功徳であり、また七高僧さまの発揮(おてがら)というべき教示が、言語(ことば)の限りを尽くして顕されています。

弥陀の仏力・功徳力を身一ぱいに孕む喜びの聖人が、その領解をもっておみ法の義(こころ)を織りあげられ、み教えの意(こころ)を縫い取られ見事な文模様を仕上げられました。

浄土和讃・高僧和讃・正像末和讃、この和語のご本典といわれる三帖和讃、合計三百五十三首。他に聖徳太子讃嘆のご和讃、百八十九首等、質も量もわが国の歴史に類を見ないもの。まさに”ご開山聖人、ご出世のご恩”と仰がれます。

ところで浄土高僧和讃撰述を終えられて、その奥書きに”宝治二年一月廿一日、釈親鸞七十六才、之を書き畢(おわ)る”と記(したた)められています。

百億劫の年月、百億劫の舌を出して、一々の舌の上に無量の声を載せて、み仏の功徳を讃えたとしても、到底、讃え尽くすことかなわず”というお経の文言(おことば)です。

この称讃浄土教は、ご本典・教行信証の中に引かれていません。という事は、浄土高僧和讃を作られる七十六才当時、聖人が初めてごらんになって、感激の中に味読されたのでありましょう。絶えまないご研究の様子が偲ばれます。


すでに廿七年隔たりました

すでに廿七年隔たりましたが、昭和三十五年二月、縁あってこの大光寺に入りました。結婚して寺に入る。二つながら、私の人生の大きな区切りの年であります。

ところで今一つ、この昭和三十五年は、生涯を決する画期的な年であります。 それは恩師、俵山西念寺の和上・深川倫雄先生の声咳に初めて接し得たことでした。

六月、下松末武(くだまつすえたけ)の浄蓮寺に於いて、山口県周防部(すおうぶ)一帯三百ケ寺の住職研修会が催されました。この研修会のご講師が恐らく三十六才でありましたろう、深川倫雄和上でありました。

私共の正しき依り処、大無量寿経は、阿弥陀さまの仏意・仏願が剰すところなくあらわされ、まさに浄土真宗は大無量寿の宗教である趣き、切れ味鋭く語られました。

炯々たる眼差しと共に、”大無量寿経は、完璧な人間洞察の書である”との、語り出しのお言葉、今に胸底を離れません。

爾来、今に和上のご指南を蒙っています。
そうですね、私の事は大経に尽くされました。
そうです。阿弥陀さま、十劫正覚・ナンマンダ仏の名告(なの)りの時に、この煩悩の命離さじと抱えお立上がり下さいました。
そうです。おさとりを誓うて、阿弥陀さまは衆生私を済(すく)はずばと、願いの起りの初発(はじめ)から、流転の命を捲きあげたもうて、ナンマンダ仏となりましました。

切れば血が出る生々しさで、煩悩タップリの私をナンマンダ仏に持ち込んで、名告りをあげて下さいました。大善大功徳をつめこんで、ナンマンダ仏と私に今や同居してくださる親さまです。

この世逗留の間中、離れはせぬとご一緒したまう親さま、ナンマンダ仏です。


浄土真宗の生活

浄土真宗の生活に於て、道徳といえば、お念仏申すが道徳です。

人の世に道徳を説く宗教は多く、又人の道を語る者、世を挙げおしなべて、人みなそうであるようです。

物を盗むな、人を欺くなという。あるいは酒を飲み大声を挙げるのは、不道徳な態度だと非難をします。

怒り哮り、粗暴の振舞いももちろん不道徳だと、責めたて裁く、世に道徳的精神の人は多く身辺にみちています。

ところで深川倫雄和上がおっしゃいます。
”世にあれやこれをあげつらい不道徳だ不徳義だと言う者がいるが、ご当流では、お念仏申さぬが、最も不道徳です。”とこう語られます。

勿論、裸で人前に出られるものではありませんし、世にいう道徳を無用といわれる訳ではありません。

しかし世間の人なみのことを心掛けても、まよい生死界をめぐりころげて曠劫以来、流転の命。見事、道徳的に人生を辿りましても、命たどり来るその経路を知らず、命いきつくべきところを知らず、無明はついに破れずして、やたら煩悩だけが湧きたちます。

如来すでに発願して、衆生の行を廻施したまえりと聞きます。弥陀正覚の大功徳を持ちこんだからには、あやまりもない正定業・チカラとなる。さあまかせてくれと、煩悩仕立ての命、無常流転の私に宿り同居したまうた親さま、ナンマンダブツ。すでに遭いました。もう承りました。

この上は、寝ても覚めても、たとえ命のあらんかぎりはと、お念仏申す。これが当流の道徳です。お念仏申さぬが不道徳です。


サイレンが鳴ります

サイレンが鳴ります。ああ、お昼じゃなと思う。私はサイレンを聞いたと説明しなくてもいい。サイレンが鳴り響くや否や”お昼じゃ、ご飯にするか”とこうなります。

如来さまは、名号・名告りをもって、私の往生成仏の定業(ちから)となるとおしゃいます。まよい生死界をころげめぐる私を、無上覚の仏とするには、この手一つと、ナンマンダ仏をご成就です。光明無量・寿命無量と親の正覚(さとり)全体を持ちこんだからには、あやまりもない正定業。チカラとなる! さあ! まかせてくれと煩悩仕立ての命、私に宿ってくださいました。

そうです。如来さまは、ナンマンダ仏とお名告りです。声に姿を現して、耳に響き煩悩の心に分け入って、私の口にかかってまで下さる。これはもう成仏まぎれもないこと。位はまさに正定聚。

無常の命、私が成仏くるいもない身に転じられました。光寿無量の如来(おや)さまが同居してくださって、等覚の命になりおうせているんです。

五十九年四月、深川倫雄和上の還暦記念講話集”仏力を談ず”を編集中の私に、和上のお便りが届きました。そこにまこと押し戴くべきお味わいが述べられています。

天を仰ぎ、地を眺め、おのれのおなかに手をやって、ここはおやさまの満ちていなさる刹(くに)じゃと、思うています。光寿無量のおやさまが、何を忘れても、お前一人は忘れはせぬとおしゃるので、私というものは、千鈞の重みのあるものにちがいありません。大切にせねば勿体ないわが身じゃと存じおります。

お領解とご報謝の完璧なさしがねを頂戴して、深々とよろこんでおります。


中国新聞に高齢化時代”明日を生きる”

中国新聞に高齢化時代”明日を生きる”という特集が連載されています。

三月の月初めのある日、アル中で精神病院入院中の、六十才の男の人の事を報じています。

自他共(みんな)が認める真面目人間。定年前コツコツ貯めたお金で、檜造りの家を新築。借金はありません。定年の時、退職金を丸々貰うて、年金と併せて悠々自適の暮らしに入りました。

生涯張りつめて働き通した上の、老後の楽しみが盆栽いじり。朝の一仕事をしては、好きな酒をちょいと一ぱい。昼にも一と仕事のあと一ぱいとやる中に、やがては夜昼なしに酒びたり、アルコール依存症、中毒へ一直線。そして病院の鉄格子に閉じ込められました。いじらしい程の愚かしくも悲しい話です。

迷いの有情・凡夫の常として、たとえ天上界の果報を恵まれても、気儘な境界に執着して、快楽にふけっては忽ち転落して、悪所に沈みゆく煩悩境界の有様。こうして地獄餓鬼畜生の三悪道の衆生は多くとめどないと、安楽集という書物に説かれます。その典型をこの世に見ます。

お三部経に、或いは長者トナリ、居士トナリ、豪性トナリ、尊貴トナリしてと、み仏の功徳・お慈悲の組みあげぶりが告げられます。ここを深川倫雄和上は仰言います。

”阿弥陀さま法蔵菩薩におかれては、一つとして苦悩の群生の境界にならずということなし。法蔵菩薩から阿弥陀さまへおなり下さるお姿が、私の救われるお法です。それはひたすら私へ私へと行われます。私をひっかるうて、救う願いの初端から、ナンマンダ仏のご成就まで、その中味全体ありったけ私の事だらけ、たっぷり私を含みこんだ、ナンマンダ仏の親さまです”と承ります。


目の見ゆる 子に生れ来よ 盲目の

目の見ゆる 子に生れ来よ 盲目の
妻が小さき 靴下を編む

毎日新聞でみた歌です。作者の奥さんは、眼が見えません。それが小さな靴下をせっせと編みます。二つ並べても掌がまだ余るほど小さく可愛い。

身ごもったお腹に赤ちゃんが居て、やがて間ものう母となります。お腹の赤子の動きに、確かな命を感知して、母となる思いが満ちました。胸の裡を廻らしていろんな願いを貯えます。

眼の見えぬ手許に、母となる気持ちを寄せて、靴下を編みつぐ今が今、片時も離れぬ願いがある。不自由な眼で母となるには、”どうぞ、どうぞして、目の見ゆる子でありますように”、おもいは廻ってここに戻ります。

如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情をすてずして
廻向を首としたまいて 大悲心をば成就せり

阿弥陀さまは煩悩仕立ての私を、本願企ての根拠に引きつけられます。願いの力、誓いの力の入れ所を、一から十まで流転の生命(いのち)、私にしぼられました。功徳の威力のありったけを、私の往生成仏、一つに集めて、ナンマンダ仏と今や成功されました。

これこそ廻向を首としたもうた、弥陀大悲実現のおいわれです。まさしくナンマンダ仏の中味は、初めから私の命がつめこまれます。弥陀大悲は私のことで満杯のお心です。

深川倫雄和上が折りふれ語られます。”阿弥陀さまを聞いた上からは、時々自分の体のどの部分でもいいから、両手で押さえてみて、この体阿弥陀さまがお宿り満ちていなさる体じゃと、自分に言い含めるがいいですよ”と、仰言います。

ご恩報謝のやり方、工夫をお導きくださいました。


人の噂をして話に花が咲きます

人の噂をして話に花が咲きます。時に声を大きくし、あるいは声をひそめなどして、人物評論がはずみます。

能力・器量をあげつらい、態度・人格の品評をします。身分・家柄・財産・学歴をくらべて、かつはうらやみ、かつはいやしみます。

ここから遂には、差別にまで及びます。人の評判、人を比べていう人間の精神は、たいへん根深く巣くうていて、ご法義信心の上までむき出しになります。 昨年のカレンダーに”一番わるいで、しあわせだがやあ”という、妙好人の言葉を見ました。阿弥陀さまのお慈悲を蒙って、罪業深重の身が、大悲のみ手に引きつられてある喜びが述べられています。

しかしこれとて、人とくらべて一番悪いといい、人と比較してしあわせというのでしょう。人の非難でなく、我身を悪いというたにしろ、人さまと見較べていう精神は、賞めたものではありません。人を見較べている精神が差別の土台といえましょう。

深川倫雄和上に承りました。”信心念仏の行者は、人物評定・人の品定めしたがるわが精神を、鈍化させにぶらせていく努力をいたします。”と和上の仰せであります。

見較べるのは、”自分の過去と今とを見較べるのです”と仰言います。

罪深いまま、永い流転のまよいの私の過去と、今日ただ今、弥陀のお覚りの仏智を恵まれ、私はまさに正定聚の位の今を比べて、よかったしあわせと喜ぶ。とめどものう流転し続けた過去に引き比べ、今ナンマンダ仏の親さまが、この命に来て同居してご一緒なさってくださる、よかったあ、よかったなあと喜びます。と、お聞かせです


お顔は知りませんが

お顔は知りませんが、大光寺テレホン法話をずうっと聞いてくださるというご夫人からご相談ですがと、電話を貰いました。ずいぶん歳をとられた実家のお母さん、もう恢復は見込めぬ症状で、病の床についておいでになるという。

これから能(あと)うかぎり、度々見舞いに訪れたいが、何をしてさしあげようもない年老いた病人に、どんな見舞いをしたらよろしかろうか、教えてくれとの電話です。

深川倫雄和上は、やがて死のうかという病人に、頑張ってとか、しっかりして下さいとかいう人があるが、これはやめるがよい。永いこと頑張って生きて来たんです。”もう頑張らなくてもいいですよ、永い間、わたしのために有難うございました”と言いましょうとおしゃいます。

そこで、デンワのご婦人に申しました。”お母さん、永い間ご苦労さまでした。でもよかったね母さん。母さんの五体一ぱい、命一ぱい、ナンマンダ仏の親さまがいて下さいますもんね。阿弥陀さまが宿ってくださってる五体ですよ。ナマンダブナマンダブ、たとえ寝返りも出来ぬ体にも、ナンマンダ仏と今もう同居してご一緒にいて下さいますから。もう頑張らなくてもいい、よかったね母さん”こう申しましょうとお答えいたしました。

それから三月後、お母さんがご往生との電話がありました。病床のお母さんの耳許に、私から聞き受けた通り告げながら、この方がお念仏申されます。すると居合わせたご兄弟など、不吉なことを言うなと怒られたそうです。

でもナンマンダ仏の親さまは、命一ぱいご一緒です。よかったねとの声に、お母さんの眼に涙がにじみ、口許にはお念仏がうかがわれました。こうして母へのお礼がなりましたとのことでした。


ミカンや梨の生産地

ミカンや梨の生産地には選果場があります。糖度・つまり甘味の度合いを計り大きさを選別して、秀・優・良と仕分けます。規準をもうけて振り分けます。

人間社会でも各分野に振り分けが行われます。まずは高校・大学などの入学試験、お医者の国家試験、検事・判事・弁護士になる司法試験、そして公務員の上級試験などは、難関中の難関と申せましょう。

その他、社会の社員採用には、能力・人柄の査定をします。試験や面接がどこにも行われ密かな調査もあるようです。

その上、機構・組織の中では、課長・部長・局長などの職場の階級がある。のみならず支払われる賃金給与にも、相応の等級が細かにあって、人間の仕分けが行われています。

今、阿弥陀さまのお法(みのり)をうかがいます。大願清浄の報土には、品位階次(ほんいかいじ)を言わずと聞きます。身分等級の仕切り区分けがないのです。平等の大悲満ちます。

阿弥陀さまのお証(さと)りは、一子地(いっしじ)の位で、すべての衆生を、わが一人子としていとおしまれます。怨親平等(おんしんびょうどう)、つまり全く差別なき智慧慈悲円満のお法、ナンマンダ仏が実現しました。

お念仏に資格試験はありません。身上境遇に規準もございません。寝返り打ちかねる体が考慮されます。吸い呑みの水一しずくが漸くという身にも、間に合います。保ち易う出来ました。しかも大功徳をもって成りました。弱点だらけ弱味一ぱい乍ら、光寿無量のナンマンダ仏が充填されたこの身です。

深川倫雄和上の仰せのように、時々体のあちこちを押え、なでさすって、ここに親さまがござる、ご一緒なんだと言い含めます。


ここ四、五年

ここ四、五年夜が明ける一、二時間まえから、目覚める事が多くなりました。気持ちではさほどになくても、確実に老人の体になりつつあるということでしょう。

でも睡眠は短くなっても、今はまだ日々の眠りに目覚めがあり朝が訪れます。 親鸞聖人の恩師、法然上人が”阿弥陀仏、十声称えてまどろまん、永きねぶりになりもこそすれ”と歌われました。そして”つねに臨終の思いを、胸に含んで夜床に就く度毎に、お念仏十声ほどなりとも、お称えしましょうぞ”とも仰言ってます。

夜、就寝のたび毎(ごと)に、これが今生の最後の眠ぞなれば、ご恩報謝の仕納めとて、お称名申すべしと仰言るのです。

生きていくのに必要でも、学問・技術の資格や肩書きは、命を繋ぐ力にはなりません。家庭を守る財産や愛情も、死の壁を超える頼りになりません。

それが尊いことに、光寿無量の功徳を持ちこんで、ナンマンダ仏の親さまが私に来ていて下さいます。阿弥陀さまが、この五体、この命に満杯一ぱいです。

深川倫雄和上がおっしゃいます。「生と死の境目を軽うしてもらいました。死の壁をウスウクして貰うています。この上からは、肩を押さえ胸をさすりなどして”ここに、ここに親さまが来ておいでになる。この五体は、阿弥陀さまが充満していなさるのだ”と、自ら自分に言い聞かせるがいいですよ」と、仕種を交えて聞せて下さいました。

今晩床に就く折りは、法然上人の歌をよすがに称名相続の上やすみましょう。そして和上のお言葉に順(したが)い、仕種をしのび胸のあたりを撫でながら眠ります。


三月六日初孫

三月六日初孫を恵まれました。女の児です。以来六十日、気嫌よく目覚めてる時間もあって、話かけるとまじまじと見つめます。時折ふくみ声をして、にんまり微笑みます。

この小さな生命(いのち)の有様は、全体がむき出しの生命・まるっきり生命そのものの身動きです。力を含まずふんわりとしています。角ばった部分の一つもない体は、どこまでも小さくまあるく出来ています。

抱っこした手に、小さなツムリの重みが乗っかります。両足を突っぱり、腕をうち振る身動きが、膝にちんまり伝わってくる感触。まさに、まるごと”命”を抱っこしている感触です。ほっかり胸の奥から温こうなります。

赤ん坊は泣きます。お腹を空かして泣きます。眠くなって泣きます。お尻を濡らし汚して泣きます。

赤ん坊は、なあんにもしません。ただ泣きます。泣きますけれども、何かを”している”というわけのものではありません。なんにもしてはいません。ただ泣いているだけです。その泣いている声ごと、体ごと、抱きとられます。声を限りに泣く、その口許にお乳を含ませてもらいます。汚れた体は清潔になり、汚れものはつぶさに点検までしてもらうのです。ひたすら親の手段(てだて)が、尽されゆき亘ります。

お三部経に、弥陀他力の信心を”明信仏智”、明らかに仏智を信ずと教えられます。ここを深川倫雄和上が「”明らかに仏智を信ず”とは、凡夫・私がナンニモシナイということです」と聞かせて下さいました。煩悩業苦のため息を、聞きつけられた親さまが、ナンマンダ仏と私に来て、五体一ぱい、命に満ち亘りご一緒していて下さいます。


近頃、焼酎が好まれ

近頃、焼酎が好まれまして今ではどんな食事の店でも備えています。

昔、焼酎は下等なものとしていました。毎日の晩酌が、清酒だと経済的に耐えられないと、安い焼酎を飲む。あるいは清酒を飲むにしろ、特級や一級は高いから、乏しい家計ではこの酒程度が、我身に相応しいといって、二級酒を飲む。一級や特級を毎日飲むなど、とてものことと我慢したものでした。

ところが事かわって近頃、二級の純米醸造酒を好んで飲み、進んで焼酎を飲む風潮がある。

これが良い、これに決めたと言うて、時に積極的に人を説得し、推奨いたします。
 さて私はお念仏を申します。お念仏申しますのは、私が能力劣っていて、拙くつまらない奴だから、念仏でも仕方がないというのではありません。

我身がお粗末だから、低級・下等なもので済ませようというのではありません。 今、私の口にかかって下さる、ナンマンダ仏・名号は、あらゆる善根のみ法(のり)が摂まり、功徳が極め尽くして備わるものです。

功徳・善根いろいろある中で、ひとつのお好み品といった程度・ちいっとばかり気に入りものなどというものではありません。

ナンマンダ仏こそ、曠(はる)かな迷いの海を渡しきり、底しれぬ煩悩の闇を破る光明であります。このおみ法(のり)ただ一つ、本願一乗海、ナンマンダ仏は最高無上の教法です。

ここを深川倫雄和上は”自分がつまらない者だから、お念仏程度でとするのはいけません。自らの宗教を二級品扱いし、低級・下等なものとしてはなりません。他に比べようもない勝れた教法なのですから”と、お聞かせ下さいます。


今年の秋

今年の秋、総理大臣が変ります。総理首相の任期切れでなく、自民党の総裁任期が終わることに基づき、自民総裁が変る。

ひいては責任政党の自民党が、圧倒的多数で推す首班候補が、当然我が国の総理大臣になる道理。次期総裁候補をニューリーダーと言い、三人の方が話題でした。そこへ俺がと名告りを挙げた人がある。この人が率いる派閥に属するニューリーダーとの間に、怨念からまる角逐が激しくなりました。

将来に亘る地位・名誉、そして政治資金のプール源を見込んで、有名無名の政治家が繰り拡げる融合離反の舞台劇です。

さて明治、大正の時代を画した、英語学者・斎藤秀三郎先生は、編纂辞書にその名を今に残し、立派なお方であったと伝えられます。この斎藤先生が亡くなられて、遺品の中に二つの柳行李がありました。中には開封されないままの手紙が、一ぱいつまってたそうです。手紙を開いて読むその時間を惜しんで、手掛けた辞書づくりに没頭された先生の生涯を物語るエピソードです。

”世人薄俗にして、共に不急の事を争う”と、大無量寿経にうかがいます。世の人おしなべて、急がぬでもよい事を、争い合っていると、阿弥陀さまが見破って下さいました。

深川倫雄和上は、ここを”世の中の事は緩・急ともに急ぐことではない。真に急なることは、一大事なり”と、聞かせて下さいます。

お領解文に”後生の一大事”とあります。この世に命を享くることは他でもない。我能(われよく)汝を護るという弥陀の仰せに、値(もうあ)うが目的です。親さまの救いの目的・ナンマンダ仏の標的は、煩悩業苦のこの身です。

お念仏はお浄土行きの手続きでなく、今日が目的、只今がお救い成立の現場です。


私の生れ在所

私の生れ在所、福岡に硬いウドン、並のウドン、軟らかいウドンなどと、お客の注文を受けるウドン専門店があります。それでもウドンの素材・原料は、小麦粉であることに違いありません。硬かろうと軟らかかろうと、ウドンは小麦粉以外の何者も含まず、小麦粉で成り立つのがウドンです。

阿弥陀さまのご本願は、凡夫衆生を素材とし内容(なかみ)にして成立しております。

何時が始まりと知れぬ命の連なりの間中、無明煩悩によって迷い続け、雑多(さまざま)な苦しみに縛られて、清らかな心境とてなく、また元来まことの安堵がない。

この衆生が捨ておけぬ。この凡夫、きっと助くる。必らず救うとお誓いの如来さま、大誓願のふところに瞬時片時も、凡夫私を離さずして、功徳のすべて善根のありったけが、ナンマンダ仏に持ち込まれます。

体力も精神も要りません。身構え気構え一切無用に、ナンマンダ仏を仕遂げられます。まさしく凡夫を見込み取り込んで結実した、ナンマンダ仏です。

たとえ寝返り一つかなわず、吸い呑みの水一しずくが、喉許をこしかねる衰えきった命にも、ナンマンダ仏の如来(おや)さまが、入り満ちて給うて離れずご一緒して下さいます。

深川倫雄和上は”衆生凡夫の実状が、本願を激発した”と、おっしゃいます。

また”ウドンは、長うても短うても、端から端まで、隅から隅まで小麦粉ばかり。阿弥陀さまは、覩見・発願・思惟・修行、そして名号成就(ナンマンダブツのおしあげ)に及ぶまで、中味は全部、凡夫へ凡夫へと、大悲のご廻向。まさに凡夫だらけの阿弥陀さま、衆生だらけの如来(おや)さまです”と、常にお聞かせであります。


スター歌手

スター歌手が、名だたる俳優の娘である女優と結婚、数億円の巨費をかけた披露宴が、テレビで放映されたようです。

当日、新聞のテレビ番組が、これで埋まったので知りました。やがて新聞広告の週刊誌見出しで、その浮かれっぷりすら、大凡を察することが出来ます。

目的は結婚生活にあります。その開始のための手続き手段の披露宴が、やたら膨張して、スターならではのこととはいえ、さながら披露宴の方が目的みたいな有様です。

阿弥陀さまの正覚(さとり)の内実は、物の為の身となるにあると承ります。性懲りもない煩悩の有状(ありさま)を凝視(みつめ)られ、流転窮まりない命がいたたまりません。

弥陀(おや)さまの願いは貫き徹され、功徳を完備した仏力が、ナンマンダ仏に成りました。凡夫を標的に仕上げられ、今や私に称えられるナンマンダ仏が成りました。凡夫煩悩の身に入り満ち、無常の命に宿り給うナンマンダ仏こそ、本願の目的・凡夫おすくいの眼目です。物為の身となる親さまは、私の往生成仏を離さずおいでになりました。

深川倫雄和上、常に仰せに”弥陀の救済は今日が目的です。信心念仏は、お浄土参りの方便(てだて)や道具ではありません。信仰生活は、往生の手段であってはなりません。ナンマンダ仏は、弥陀(おや)さまの救いの活現です。五体一杯、光寿無量の親さまが、ナンマンダ仏と満ちておいでの今日、只今が目的です”と、お聞かせ下さいます。

弥陀(おやさま)の、ちかいのみ名を聞き、忽ちに正定聚の位に定まりつき、仏智を恵まるると、即得往生のご法義を、輝かして下さったご開山さまのお導きを、親密肌身に覚えるご教化にして下さいました。


添い寝して 背を撫で居れば 死に近い

朝日新聞に見た歌です。死期迫った母の命の際を添い臥して、歌の作者は、娘として最後の看取りをいたします。

主婦の身に張りついた家庭の仕事は、病人がいても休めません。家事と看護に疲れます。もう永くはない母親、いつ容態が変わるかわからない。離れた寝床に熟睡すれば、母の様子に気がつかぬかも知れない。

そこで今夜も添寝をします。体は小さくしぼみました。幼い子供を抱くありさまに、背をなでながら休みます。

ふと、髪のあたりにふれるものがあるのに気がついた。身じろぐことも、かぼそいほどの母の腕が動く。しきりに動く。よくみれば、この私の髪をなずる仕種に動きます。
おそらくは、意識もおぼろの胸の底から、幼い娘に添い寝した、若く母たりし日の、遠い記憶が立ち上っていて、自らなる仕種でありましょうか。あるいは、意識ありありと、有難う有難うよと、振舞うことでありましょうか。

深川倫雄和上の或る日のお話に”若い者は、とてもこの年寄りの世話などしやあしませんという者がある。こりや、自分が年寄りを嫌うて、世話せんかったもんで、大方、若い者(もん)は、自分に似とるだろう思うて、言うとることにちがいない。時間のゆとりがあるならば、如来さまと家族に、有難うございましたと、言うがよい。死ぬとき、礼も言はずに往く奴があるか”と、仰言る。

”弥陀大願の底意には、御恩を知るほどの者になれよのご期待がある。礼を言はねば救わんじゃないが、ご恩を最高至善とお育てのお心がある”と、聞かせて下さいます。


車を運転されるお方

車を運転されるお方は、都会の商店街に車を乗り入れて、くるまの置場所・駐車場を探すのに、苦労されたことがお有りでしょう。ご他聞にもれず私も、再々ならずその経験がございます。

お説教先のご院家さんから、ご挨拶状が前以て届きます。それには、境内に車が入りますとか、車庫をお使い下さいとか、仰言ってあります。

また時には、石段の上の境内であるとか、路地が狭くて車が乗り入れられないから、これこれしかじかの場所に駐車して下さいなど、ねんごろにご指示を下さることが、多くなりました。用意周到なご親切です。

先月、夏に行われる恒例の布教大会の会場を、どこにお願いするかと相談をいたしました。

大会参加の布教使さんが、県内各地から集められて、二、三十台の車。それに参詣の方の車も考慮に入れると、四、五十台分の駐車場の確保が、絶対条件となります。

本堂が大きく参詣者が沢山あって、その点申し分ないと解っていても、駐車場の用意がかなわなければ、大会のお引受けが願えません。それで車は大丈夫ですと仰言るお寺に決まります。

今、弥陀本願は仕遂げられ、成就せられたと仰せです。仏土の功徳・仏の功徳・菩薩の功徳と、万全を期した誓願を、功徳力十分に満たし切ったと仰せです。ナンマンダ仏と生死煩悩の命に来たって、大丈夫まかせておけと仰せです。ナンマンダ仏と仰せです。

深川倫雄和上の或る日のお話に、”聞く一つと言うが、そうではない。仰せ一つですよ”と、ここの所を告げて下さいました。